掌編

無名作家の奈落「常磐荘」

掌編「常磐荘綺談」

ジッポーのキシンッという金属音が響いた。湿った苔と冷え始めた土の匂いを、オイルがたちまち上書きする。安煙草の紫煙が囁くように耳元を通り過ぎても、鴨下栞は振り返らなかった。この石階段は栞の観測所だが、同時に、後ろにいるたたこの指定喫煙所でもあ...
栗きんとん99

掌編「お菓子どうどうめぐり」

活田町のライブハウス「ガーデンガガガーデン」の楽屋は、人の匂いがした。ステージの狂騒を吸い込んだアンプが、沈黙のうちに熱を放っている。床には無数の靴跡と、黒いシールドケーブルが力なく転がっていた。誰かが、込み上げる感情を唾と一緒に飲み下す音...
古書店「古河書店」

掌編「眉毛」

古河書店のガラス戸の向こうで、陽光がアスファルトを焼いている。もう何時間も、客の姿はない。店主の古河佐助は、カウンターの奥、自分の尻の形にへこんだ座布団の上で、膝の文庫本から顔を上げた。文字は視界を滑っていくだけで、意味を結ばない。店の中は...
[掌編]話の脇道

掌編「助け舟」

縁側で日向ぼっこをしながら、まんのすけは気持ちよさそうに目を細めていた。居間から聞こえる義理の姉・ばっしょいと近所の女たちの楽しげな会話に、時折「いや、その話の語源はだね」と口を挟んでは、「まんちゃんは物知りだねえ」と感心されたり、「また始...
掌編「物語の寄港地」シリーズ

掌編「繕われた地図」

湖からの反射光が、ブックカフェ『シズカ』の床に、ゆらゆらと動く菱形の模様を描いていた。光は磨かれた床板を滑り、壁一面の本棚の、古い背表紙の金文字を一瞬だけ照らしては、また別の場所へと移っていく。レコードプレーヤーからは、抑制の効いたピアノの...