【登場人物】
酔酔亭 馬楼: 二つ目の落語家。自身の「だらしなさ」を「芸の肥やし」という言葉で正当化しようとする。
糠森 ひな(20代半ば): 「代弾き」のピアニスト。完璧な演奏技術を持つがゆえに、人生の不協和音も許せない。
【場面設定】
深夜のコインランドリー。 乾燥機が回っている。ひなはベンチで楽譜に赤を入れている。馬楼は缶ビールを飲みながら、回る洗濯物を眺めている。
(ひな、楽譜の一点を睨みつけ、苛立ちをペン先に込めている)

……なぁ、ひな。乾燥機ってのは、人生の縮図だと思わねぇか?

(顔も上げず)思いません。ただの遠心力と熱風による脱水作業よ。

いや、見ろよ。俺の安物のTシャツと、お前の高そうなシルクのブラウスがだ、こう……上下も裏表もなく、ぐちゃぐちゃに混ざり合ってる。身分の差を超えた「愛の逃避行」じゃねぇか。ロマンがあるだろ。

(顔を上げ、冷徹な目で乾燥機を一瞥し)ロマン? よく見て。

あ?

あなたのTシャツの繊維がボロボロすぎて、そこから出た大量の糸くずが、私の黒いブラウスに付着してるだけ。あれは「愛」じゃないわ。「汚染」よ。

……お、おせん……。言葉がきついな! 「混ざり合い」と言え、「混ざり合い」と! お前はそうやって、何でも顕微鏡で粗探しするように見る癖がある。

事実だからしょうがないでしょ。あなたの生活もそう。部屋の隅に積まれた本、飲みかけのペットボトル。あれは「無造作」うんぬん以前に、単なる「怠惰の堆積物」よ。地層ならまだ研究価値があるけど、あなたの部屋にあるのはダニの温床だけ。

うっ……! そ、それはあれだ、俺は噺を練るのに忙しくてだな……脳内の整理整頓にエネルギーを全振りしてるんだよ!

その割には、昨日の高座、ひどかったわね。

(ギクリとして)……そ、そうか? 客席、沸いてただろ。

「長屋の花見」のサゲ。あれ、間違えたでしょう。

はっ! ? ち、ちげぇよ! あれは……「現代的解釈」を加えたんだよ! あえて定石を崩すことで、客の想像力を刺激する……高度なテクニックだ!

嘘おっしゃい。サゲの一語前で、扇子を落としたわよね。あの瞬間、あなたの瞳孔が開いて、呼吸が止まったの、二階席からでも見えたわ。あれは「解釈」じゃない。「パニック」よ。

……くっ。

しかも、そのあとリカバリーしようとして、噛んだわよね。「酒」を「鮭」って。花見で鮭が泳ぐわけないでしょう。シュールレアリスムのつもり?

(ぐうの音も出ず、長いため息をつく)……ああ、そうだよ! 噛んだよ! 真っ白になったよ! 悪かったな! ……お前みたいに、鍵盤の上で1ミリの狂いもなく生きてる人間には分からねぇんだよ、このライブの泥臭さは!

泥臭さなんて求めてない。求めているのは「正確な美しさ」よ。……でも。

……なんだよ。

あのパニックのあと。あなたが開き直って、鮭が遡上してくる話をアドリブで始めた時……客席の空気が、少しだけ緩んだ。

え?

楽譜通りの完璧な演奏じゃなかった。破綻してた。……でも、不快じゃなかったわ。悔しいけど、少しだけ笑っちゃったし。

(少し驚き、そしてニヤリとして)へへっ……それが「愛嬌」ってやつよ。ピアノにはねぇだろ?

ないわね。必要ないもの。
(乾燥終了のブザーが鳴る。馬楼が扉を開け、洗濯物を引っ張り出す)

おっと。……ほら見ろ、ひな。言った通りだ。

何が?

俺のTシャツの袖と、お前のブラウスの袖が、がっちり結ばれてる。……これを「運命の赤い糸」と言わずして、何と言う!

(冷静に結び目を見て)これは固結びね。あなたのTシャツが伸びきって紐状になってるから起きた物理現象よ。……それに、よく見て。

ん?

あなたのTシャツの色が落ちて、私のブラウス、うっすら灰色になってる。

……あ。

……弁償ね。出世払いでいいから。

……真打になるまで待ってくれ。

待つわよ。……利子つけてね。

馬楼のマクラで、どうだい?

いらない(即答)。
(馬楼は青ざめ、ひなは少しだけ楽しそうに、灰色になったブラウスを畳み始める)
(幕)

●酔酔亭馬楼と糠森ひなのものがたり↓

