移動図書館日記(1)

これは、日記という名を借りた私の記憶。

某月某日

朝、7時20分。ここあん鉄道の、あまり人の乗り降りのない駅のホーム。巡回ルートの確認のために少し早く家を出すぎた。湿った空気が肌にまとわりつく。ホームの端、コンクリートの割れ目から顔を出した花のピンク色が、朝の空気を柔らかなものにしてくれていた。

隣に腰掛けたおばあちゃんが、独り言のように呟いた。初めて見る顔。

「これは、なでしこだねえ」

相槌を打つと、おばあちゃんは遠くを見るような目をして続けた。

「なでしこっていうと、わたしらのころはカワラナデシコだったけどなあ。今のはずいぶん、華やかだねえ」

その瞬間、私の頭の中の索引が自動的に動き出す。

『カワラナデシコ:ナデシコ科ナデシコ属。日本在来種』
『園芸種ナデシコ:セキチクなど外来種との交配により作出されたもの多し』

……いけない。私は、あらゆる事象を分類し、定義しないと気が済まない。

(いや、おばあちゃんはただ昔を懐かしんでいるだけ。そこに索引も分類もいらないでしょう、私)

頭の中で、昔の自分が呆れ顔でささやく。でも、この思考の自動運転は止められない。この強迫観念は、私の骨格の一部になりつつある。

おばあちゃんの話は、在来種が外来種に追いやられて、なんていう切実なものではなかった。ただ、昔はこうだった、今はこうだね、と、流れる雲を眺めるように淡々と語るだけ。

その穏やかさは、まるで梨木香歩の『家守綺譚』のようだった。

亡くなった友人の家に住む主人公が、庭の草木や旧友の霊、不思議な生き物たちと、ただ静かに共存している、あの世界の空気。そこでは、元からあったものと、後から来たものとの境界線は、夏の夕暮れのように滲んで曖昧だ。おばあちゃんの言葉は、庭のサルスベリの木が語りかけてくるみたいに、私の耳に届いた。

――ガイライシュ。

その言葉だけが、私の心に小さなさざ波を立てる。

あの「大きな災害」の後、ここあん村にはたくさんの人が来た。住む場所を失い、ボストー区の復興住宅に移り住んだ人々。私たち「元からいた者」と、彼ら「移って来た人」。村の移動図書館車「ロマコメ号」はその間を繋ぐために走るけれど、見えない境界線は、まだアスファルトの下に眠っているのかもしれない。

ふと、全てが根こそぎにされた、あの日の風景が脳裏をよぎる。在来も外来も、新旧も関係なく、全てが等しく瓦礫と化した巨大な無秩序。あの恐怖が、私を完璧な秩序へと駆り立てる。NDC(日本十進分類法)という防波堤の内側だけが、私を守ってくれる。

ガタン、と線路の軋む音。池袋方面へ向かう上り列車が、ゆっくりとホームに入ってきた。

「あら、来たようだね」

おばあちゃんはそう言って、ひょいと立ち上がる。私よりよっぽど身軽そうだ。

「じゃあ、気をつけてね」

それだけの言葉を残して、人波に混じっていく小さな背中。名前も知らない、二度と会わないかもしれない人との、数分間。私の書棚のどこにも分類できない、名付けようのない時間。

息苦しさは感じなかった。むしろ、固く締め付けていた胸の箍が、少しだけ緩んだような気がする。

電車が走り去った後、私は無意識にポケットを探っていた。指先に触れたのは、昨日、閉架書庫の暗がりで貪るように食べたポテトチップスの、油の染みた袋の切れ端だった。

今日の活動日誌には、この花のことも、書いておこう。「定性的記録」の欄に。

――カワラナデシコ、図鑑で確認すること。

これは、日記という名を借りた私の記憶。

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。 *The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
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移動図書館日記
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