Geminiとの創作談義001

これは生成AI「Gemini」との創作談義。

日々進化するAI、そして開発の前線におらず、ひとりのユーザーにすぎない私との対話内容をまとめたものである。陳腐・時代遅れ・的外れなものも多くあることを最初におことわりしておく。それでもなお、AIとの付き合い方を考える何かのヒントにはなるかもしれないと思いここに残すこととした。

Geminiと「創作における長さと密度」、そして「AI時代の作家性」について議論を交わした。

まず私が切り込んだのは、書店の棚を占拠する「物理的に分厚い本」への疑念だ。500ページも600ページもある単行本が多いが、その多くは商業的な「かさ増し」に過ぎないのではないか。Geminiもこの指摘を認め、価格の正当化や書店での存在感アピールというマーケティング的な側面があることに同意した。

作家たちは「解像度を上げる」とか「掘り下げ」といった言葉を言い訳にするが、実際には犯人を隠すための無駄な視線誘導や、どうでもいい雑魚キャラの生活描写で水増ししているケースが散見される。Geminiとの対話で確認したのは、結局のところ、その長さに「必然性」があるかどうかが全てだということだ。京極夏彦氏のような巨匠の計算された長さとは異なり、凡庸な作家の「引き伸ばし」は読者への背信行為に等しい。

小説の大鉄則は「何を書くか」ではなく「何を省くか」であるはずだ。しかし、原稿料などのインセンティブが働くと、作家はダラダラと書きがちになる。私はここで一つの仮説を提示した。「AIを自制的に利用すれば、むしろ作品の文字数は減り、密度が増すのではないか」と。Geminiもこれには膝を打ち、AIを思考の整理や無駄の炙り出しに使うことで、「省略」という最も困難な作業が洗練される可能性を認めた。

だが、AIを賢く使いこなし、出力の精度が上がれば上がるほど、私の中には「自分は作家と言えるのか?」という根源的な問いが生まれる。これに対しGeminiは、作家の役割が「書く者」から、オーケストラを操る「指揮者」や、完璧な設計図を描く「設計者」へとシフトしているのだと定義した。葛藤すること自体が作家の証明である、という慰めも含めて。

最近、私は自ら執筆した作品についてGeminiと議論し、時に論破することで自らの立ち位置を確認している。その中で見えてきた「人間の最後の砦」は、やはり身体性と死生観である、ということだ。AIは痛みや時間の制約を知らず、死への根源的な恐怖も持たない。この「死者への敬意」や「死の恐怖」こそが、AIには描けない物語のエンジンであり、私が人間として書き続ける理由になる。

構成・千早亭小倉+NotebookLM

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。 *The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
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