移動図書館日記(5)

これは、日記という名を借りた私の記憶。

某月某日

今日のロマコメ号は、移動式の折り紙動物園だった。返却された本よりも、子どもたちが置いていった紙の創造物のほうが多いのではないか。書架の隙間に挟まれたエビ。カウンターの隅に置かれたラッコ。請求記号もISBNもない、まったくもって分類不能なオブジェクトたち。秩序を生命線とする司書への挑戦としか思えない。

(前の私なら、もっと素直に喜べたのに…)

輪の中心にいたのは、小学2年生くらいの少年だった。彼の指先から、まるで魔法のように生命が生まれていく。あっという間に仕上がっていく動物たち。それはそれで、完結したひとつの秩序だった。一枚の正方形が、定められた手順で二次元の形態へ、時には三次元の形態へも変容する。

美しい。潔い。私の好きな世界だ。

けれど、私の手に握らされた折り紙は、それとは違っていた。女の子がくれた、少し歪んだハート。「ちなつせんせい だいすき」という、覚束ない文字が書かれている。彼女の手の熱が、まだ残っているような気がした。これは、秩序ではない。感情の、生の塊だ。どう処理すればいい? 書架のどこにも、この感情の置き場所はない。

折り紙少年が、ふと、「お化けの折り紙もあったんだけど」とつぶやいた。

「忘れちゃったんだ」

その言葉に、小川洋子さんの『博士の愛した数式』が頭をよぎった。記憶が80分しか保たない博士。先生にとって、世界は常に新しい数式で満たされていた。忘れることと喪失とはちがうもの。だとすれば、博士が愛した数式の美しさが永遠だったように、少年が忘れた「お化け」も、彼の中で美しい記憶として残るかもしれない。

それとも――。

忘れたいのに、忘れられない記憶もある。

「お化け」という言葉の響きが、不意にあの日の瓦礫の山を思い出させる。形を失い、分類不能になったモノたちの、静かな叫び。日常という秩序が、巨大な無秩序に飲み込まれた、あの日の手触り。

私は、子どもたちとのただのやりとりに、何を重ねているのだろう。ここあん図書館の運行マニュアルには、「心に寄り添う」とある。「『大変でしたね』といった安易な同情は避ける」とも。私はただ、聞くことに徹するだけだ。少年の「忘れちゃった」という言葉を、そのまま受け取る。分類も解釈もせず、ただ事実として記録するのだ。

業務終了後、車内の清掃をしながら、散らばった折り紙たちを集めた。本来なら廃棄すべきものだろう。しかし、どうしてもできなかった。真木先輩なら、きっと微笑んで「宝物ですね」と言うだろう。美桜さんなら、いつの間にか自分の机のガラクタの山に混ぜてしまうに違いない。そして高島副館長は、「業務に関係のないものは速やかに処分するように」と眉をひそめるだろう。

結局、ラッコとエビは業務日誌に挟み込んだ。そして、あのハートは、誰にも見られないよう、そっと自分の手帳のポケットに滑り込ませた。分類不能。処理未了。私の内なる書棚の秩序が乱れてしまうけれど。

……閉架書庫の鍵が、やけに重く感じられた。

これは、日記という名を借りた私の記憶。

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。 *The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
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移動図書館日記
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