移動図書館日記(14)

これは、日記という名を借りた私の記憶。

某月某日

今日の巡回先は、大学の跡地が湖になった、そのほとりに建てられた仮設団地。ロマコメ号をいつもの場所に停め、本のコンテナを並べていく。背表紙の高さ、NDC分類の若い順。完璧な直線と秩序。それが私の防衛線であり、この混沌とした世界における、ささやかな抵抗だ。

午後の日差しが日よけテントオーニングの影をくっきりと地面に落とす頃、それは起こった。

「あら、まあ……萩原さんじゃないかい!?」

甲高い声に、私の肩がぴくりと跳ねる。声の主は、隣の仮設団地から歩いてきたという、小柄なおばあちゃん。彼女の視線の先には、ちょうど私が貸し出し手続きをしていた、萩原さんの後ろ姿があった。

萩原さんは、ゆっくりと振り返ると、目を丸くして、持っていた本を取り落としそうになった。

「……鈴木さん? あんた、生きておったのかい! ああ、こんなとこにおったの!」

次の瞬間、私の小さな秩序の聖域は、感情の奔流に飲み込まれた。二人は駆け寄り、しわくちゃの手を取り合って、泣きながら、笑っていた。「あのこと」の後、避難所で別れて以来、ずっと互いの安否も知れなかったのだという。

私の頭は、この出来事をどう分類すべきか、高速で回転を始める。『事象:利用者間の再会』『特記:「あのこと」による離散後の初確認』。しかし、そんな無機質な文字列では、目の前の光景の熱量を、一ミリも記録することなんてできない。

二人の周りだけ、空気があたたかく形が違って見えた。私の完璧に整列した本棚も、彼女たちの前ではただの背景に成り下がる。ここは図書館。静粛に。そう喉まで出かかった自分に、昔の私が冷ややかに囁く。

(本気で言ってるの? この光景を見て、最初に思うことがそれ?)

違う。そうじゃない。

ふと、ケイト・ディカミロの『エドワード・テュレインの奇跡の旅』を思い出した。持ち主の少女と離れ離れになり、海の底に沈み、ゴミの山に捨てられ、様々な人の手を渡り歩く、陶器のうさぎの物語。エドワードは、自分では動けない。ただ、そこに「在る」ことしかできない。でも、彼の存在が、偶然と奇跡を引き寄せ、人の心と心を繋いでいく。

このロマコメ号も、エドワードと同じなのかもしれない。

私がやっていることは、本という「物」を、定められた場所から場所へ運ぶだけの、単調な作業だと思っていた。けれど、この車が、この本の並んだ空間が、ただそこに「在る」ことで、離れ離れになった人々が再び出会うための、小さな座標軸になっている。私が守りたかった秩序は、本の背表紙が作る直線なんかじゃなくて、こういう、目には見えないけれど、確かに生まれる人と人との繋がりという名の、新しい秩序だったのかもしれない。

貸出記録には残らない、今日の出来事。でも、私の心の書棚の、一番大切な場所に、そっと差し込んでおこう。分類は、まだ、できないままで。

これは、日記という名を借りた私の記憶。

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。 *The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。 *The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
移動図書館日記
higashiboctokをフォローする
タイトルとURLをコピーしました