移動図書館日記(9)

これは、日記という名を借りた私の記憶。

某月某日

昨夜、ロマコメ号で運行先のボストー区から図書館に戻る途中のこと。それは、災害で生まれたあの大きな湖の縁をなぞるように走る、灯りの少ない道だった。予定通りの時刻、完璧な運行計画。私の思考は、返却された本の分類と、明日の巡回ルートの最適化で満たされていた。

その時だ。ヘッドライトが照らす闇の中から、突然、小さな影が飛び出してきた。

咄嗟にブレーキを踏む。タイヤがアスファルトを掴む短い悲鳴。車体が軽く前のめりに沈み、書架の本がカタカタと不穏な音を立てた。心臓が、喉のすぐ下までせり上がってくる。あの日の揺れとは違う。でも、予期せぬ出来事が日常に亀裂を入れる、あの感覚は、同じだ。

影の正体は、カルガモの親子だった。親鳥を先頭に、五、六羽の雛が、まるで何事もなかったかのように、短い脚で懸命にアスファルトを横断していく。私の完璧な運行計画(ダイヤ)を乱したことなど気にも留めず、一列になって、そそくさと闇に消えていった。

呆然とハンドルを握りしめる。私の管理する世界の外側には、常にこういう予測不能なものが存在している。交通規則という名の秩序など、彼らの生存本能の前では意味をなさない。

不意に、アーノルド・ローベルの絵本『ふたりは ともだち』の世界が頭をよぎった。もし、かえるくんが運転していて、がまくんが隣に座っていたら、この光景をどう見るだろう。「なんて のんきな おきゃくさんだろう!」なんて言って、二人で笑い合ったのかもしれない。あの世界では、あらゆる闖入者は、物語を豊かにする要素として受け入れられる。

……昔の私なら、「可愛い」なんて、声に出して笑ってしまえたかも。今、この胸を占めるのは、安堵よりも、私の制御できない無秩序に対する、冷たい恐怖だ。

図書館に戻り、閉架書庫で最後の点検をしていた時、第二の侵入者は現れた。大雨のせいか、コンクリートの床がじっとりと湿っている。その隅に、見たこともない虫がいた。金属光沢のある、奇妙な形の甲虫。NDC(日本十進分類法)のどこを探しても、分類コードが見つからないような、異質な存在。

一瞬、殺虫剤を探そうと体が動く。秩序を乱すものは、速やかに排除しなければならない。でも、同時に、もう一人の私がささやくのだ。「昆虫図鑑、486の棚へ。まずは同定を試みること」と。この、忌々しいまでの司書の性。

結局、私はその虫をちりとりに乗せ、外の植え込みにそっと逃がした。駆除でもなく、観察でもない、実に中途半端な着地点。

ここあん村で暮らすということは、こういうことなのかもしれない。カルガモの親子も、名も知らぬ虫も、私の知らないところで、私の知らないルールで、ただ懸命に生きている。私の築いた秩序という防衛線は、彼らにとっては何の意味も持たないのだ。世界は、私の知らない物語で満ちている。それは、穏やかな共存などではなく、私の脆い日常が、常に侵食される危険と隣り合わせだという、ただの事実。

それでも、業務日誌の隅に、私にしかわからない記号で「湖畔、鳥の親子、横断」と書き留めた。あの、分類不能な時間もまた、記録せずにはいられなかったから。

これは、日記という名を借りた私の記憶。

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。 *The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。 *The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
移動図書館日記
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