これは、日記という名を借りた私の記憶。
某月某日
運行日誌に、新しいルールを書き加えた。
――ボストー区、3つ目の巡回ポイントの滞在時間変更。午後5時、完全撤収。
ボールペンの先で引かれたその一本の線は、私の世界に新しい秩序をもたらすはずだった。合理的で、安全管理上、完璧な判断。
ここあんの森に近いあの地区は、夕暮れの時間が特別な色をしている。昼の喧騒が遠ざかり、家々の窓にひとつ、またひとつと温かい光が灯り始める。仕事帰りの人が足を止め、子どもたちが最後の絵本を名残惜しそうにめくる、あの穏やかな時間。その空気を、私は好ましいと思っていた。
けれど、森の稜線に太陽が隠れた瞬間、夜は本当に「いきなりやってくる」。まるで世界の照明係がスイッチを乱暴に落としたみたいに。昼と夜の境界線が溶けて、あらゆるものの輪郭が曖昧になる、あの数分間。あの時間が、私は怖い。
レイ・ブラッドベリの『何かが道をやってくる』の世界を思い出す。美しい夕暮れの空の下、少年たちの日常に、不吉なカーニバルを乗せた汽車が忍び寄ってくる。あの物語のように、穏やかで美しい時間のすぐ裏側には、いつだって私の理解を超えた、巨大な無秩序が口を開けて待っている。アレの日も、空はこんなふうに、ただ静かだった。
「わ、結構暗くなるの早いんですねー。この時間だと安心です」
隣で本のコンテナを片付けていた同僚の鈴木美桜さんが、悪気なく笑う。その屈託のなさに救われる思いと、失われていく夕暮れの時間を惜しむ気持ちが、胸の中で分類できずに混ざり合う。
以前の私なら、「もうちょっとだけ、星が見えるまでいられたら素敵なのにね」なんて、真木まき先輩みたいに言えただろうか。今はできない。
冬が来る前に、日暮れとの関係を見直す。それは、利用者の安全を守るため。そして何より、私のこの脆い日常という名の防衛線を、これ以上侵させないための、必要な措置なのだ。
業務日報には、「日没時刻の早期化に伴う、安全確保のための運行スケジュール調整」とだけ、乾いた文字で記しておこう。あの夕暮れの空気の色も、美桜さんの笑い声も、私の胸をよぎった小さな痛みも、記録には残らない。
これは、日記という名を借りた私の記憶。
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