移動図書館日記(19)

これは、日記という名を借りた私の記憶。

 某月某日

ボストー区から図書館への帰り道、ロマコメ号は定刻通りに、あの災害で生まれた湖の縁をなぞる道を走っていた。返却された本の冊数も、貸出記録も、すべてが私の管理する秩序の中にある。そう思うと、強張っていた肩の力が、ほんの少しだけ抜ける。

その時だった。ヘッドライトが照らし出す先に、違和感を覚えたのは。

午前中に通った時には確かに乾いていたはずの、湖とは反対側の土地が、まるで水田のように、一面、水に浸かっている。道路にまで、その水が静かにあふれ出していた。

(……見間違い? 午前中は、確かにこんなではなかったはず)

私の脳は、この予測不能な事態を即座に分類しようと試みる。

『原因:不明』『状況:道路冠水』。

車の仕様書にあった「塩害対策」という一文が不意に頭をよぎる。この湖の水質調査の結果は把握できていない。海水が含まれているとは思えないけれど……。

それでも、水の下のアスファルトは、様子がうかがえない。そこにどんな亀裂が口を開けているか、どんな瓦礫が潜んでいるか、私には知る由もない。ハンドルを握る手に、じっとりと汗が滲んだ。ゆっくりと、車を進める。タイヤが水を掻く、不気味な音だけが響く。

足元が崩れていくような、あの日の感覚。巨大な無秩序カオスは、いつだってこうして、日常のすぐそばで、静かに口を開けているのだ。

不意に、宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』を思い出した。千尋がトンネルを抜けると、そこは神々の世界だった。昼間は穏やかな草原が、夜になると広大な海原に姿を変える。あの光景のように、この道も、夕暮れを境に、私たちの知らない世界の入り口になってしまっているのかもしれない。この湖の底と道が繋がっている、なんて。

(……以前の私なら、「わあ、海の上を走ってるみたい!」なんて、少しだけワクワクしてしまったかもしれないな)

心の奥で、忘れていたはずの自分が囁く。即座に、今の私がそれを打ち消す。これは早急に報告し、運行ルートの見直しも検討すべきだろう。

無事に図書館の地下駐車場にロマコメ号を停めたとき、全身から力が抜けていくのを感じた。業務日報には、「湖畔道路における原因不明の冠水。安全確保のため、要注意事項として記録」とだけ、乾いた文字で記した。

けれど、私の心の書棚には、また一つ、分類不能な記憶が差し込まれてしまった。行き先も、背表紙の分類記号もない、ただ「夕暮れに沈む道」とだけ書かれた、重くて湿った一冊。

これは、日記という名を借りた私の記憶。

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。 *The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。 *The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
移動図書館日記
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