日付のない日記|まっすぐな脇道

私の目の前に、一本のまっすぐな道が伸びている。

さて、世間には「ひねくれ者」という便利な言葉がある。物事を素直に受け止めず、わざわざ斜めから眺めては、いらぬ理屈をこねる人間を揶揄やゆするための、少しばかり侮蔑のニュアンスを含んだレッテルだ。

だが、果たして「ひねくれる」ことは、本当に矯正すべき悪癖なのだろうか。

ここに一本の、どこまでもまっすぐな道があるとする。多くの人々は、それを最短距離だと信じ、疑うことなく歩を進めるだろう。彼らは、世の言う「素直」な人々だ。彼らにとって、道とは目的地に効率よく到達するための手段に他ならない。

一方で、そのまっすぐな道を見て、ふと足を止める人間がいる。

「なぜ、この道はこれほどまっすぐなのだろう?」
「本当にこの先に目的地があるのか?」
「むしろ、あの草むらの向こうに続く獣道の方が、面白い景色に出会えるのではないか?」

などと考えてしまう。これが「ひねくれ者」の思考回路だ。

彼らにとって、道とは単なる手段ではない。道そのものが、構造や歴史、そして別の可能性を秘めた、興味深いテクストなのだ。なぜその道が敷かれたのかという背景コンテクストを読み解き、地図に載っていない脇道オルタナティブを探してしまう。それは、世界をあるがままに受け入れるのではなく、その成り立ちや仕組みを問うという、極めて知的で批評的な態度だと言えないだろうか。

もちろん、彼らが選んだ脇道は、ぬかるみで行き止まりかもしれないし、元の道に戻れなくなるかもしれない。だが、そこでしか見られない一輪の野花や、思いがけない泉を発見する可能性もまた、そこにある。

「ひねくれ者」とは、世間が引いた白線の内側を歩くことを拒否し、自分だけの論理と好奇心に従って、自分だけの「まっすぐ」を歩もうとする人間のことだ。その道は、他人から見れば奇妙にねじ曲がった脇道に見えるかもしれないが、本人にとっては、これ以上なく理路整然とした、一本の「まっすぐ」なのだ。

まあ、そんな人間がこの社会でうまくやっていけるかどうかは、また別の話なのですけどね。

私の目の前に、一本のまっすぐな道が伸びている。

(千早亭小倉 記)

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。 *The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。 *The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
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