湖畔の庵

六月の雨は、森の匂いを濃くしていた。

災害が作ったという湖は、そのすべてを飲み込んで静まり返っている。水面と空との境界線は、灰色の雨に溶けてどこまでも曖昧だ。そのブックカフェは、湖の岸辺に忘れられたようにぽつんと建っていた。

二階建ての、切妻屋根の小さな家。壁は、長雨に濡れて、周囲の木々の幹と同じ、深い色に沈んでいる。華美な装飾のない庭は、自生する羊歯や苔をそのまま受け入れ、家の輪郭を、ゆっくりと自然の中へと溶かしているようだった。それは、世を捨てた隠者の住まう庵のようでもあり、遠い北国の物語に出てくる、少しだけ寂しがりな誰かのための家のようでもあった。

建物の脇に、古いフランス製の小さな車が停まっている。雨粒が、丸みを帯びたその赤い屋根を、無数に、しかし優しく叩いていた。

人の気配はない。ただ、二階の窓の一つに、温かい色の灯りがひとつ灯っている。時折、その灯りの前を、本棚の本を並べ替えるためか、あるいは、珈琲を淹れるためか、誰かの影が、ゆっくりと横切るだけだった。

雨音のほかには、何も聞こえない。

湖の水位が、昨日よりも、ほんの少しだけ、上がっていた。

作・千早亭小倉

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