表通りから一本外れたパチンコ屋の裏口。派手な刺繍の入ったスカジャンを着た男が、何か黒い物体を拾い上げると、無造作に植え込みの奥へ放り投げた。缶コーヒーの空き缶に違いない。男は、吸っていた煙草の火を、唾で濡らした指で揉み消し、その吸い殻も同じ植え込みに弾き飛ばした。
おはぎはんの正義の血が滾る。こめかみの奥で、血管がドクンとする。彼女は、姉に頼まれたカレーまんの紙袋を抱え直し、男の前に回り込んだ。
「あなたの行為! ここあん村ポイ捨て禁止条例違反です。ただちに回収し、指定場所に捨て直すよう、要求します」
早口に、事務的に。感情を乗せると、論理の純度が下がる。法律と条例に基づいた、揺るぎない正義に、おはぎはんは震えた。
だが、男――風待太陽は、虚ろな目で彼女を数秒見つめた後、心底面倒くさそうに顔を歪めた。その反応が、おはぎはんの平静をかすかに乱す。
「病理の根源! それがいかに許されない行為であるかという認識の欠如こそ、社会が抱える病理の根源。あなたの無責任な行動が、地域の景観を損ない、ひいては住民の規範意識を低下させぇ……」
用意したわけでもないのに、堰を切ったように言葉が次々と溢れ出す。だが、太陽は聞いているのかいないのか、ポケットにずずっと手を突っ込み、何かを取り出した。
こつっ、と。冷たくも熱くもない、生ぬるい感触のものが、おはぎはんの左頬に押し当てられた。
「ひぃっ」
おはぎはんの饒舌が、強制的に止められる。太陽が、プルタブ式の缶コーヒーを彼女の頬に当てたのだ。彼のポケットの中で、その体温にくるまれていたためだろう。汗が染み込んだような、不快なぬるさがあった。
「うるせえよ、お前」
太陽は、そのぬるい缶をおはぎはんの手に無理やり握らせた。汗ばんだ指先が、一瞬だけ触れる。
「何がビョ―リだ。歩く交番かよ」
正義の執行者であるはずの自分が、なぜ、犯罪者から施しのようなものを受け、重ねて罵倒されねばならないのか。
「あなた、捨てましたよね、吸い殻……それと、缶」
「カン?」
太陽は鼻で笑うと、植え込みにずかずかと踏み入り、茂みの奥から何かを掴み上げて戻ってきた。
「これだよ」
彼の手の中にいたのは、一羽のインコだった。翼から血を流し、ぐったりとしている。ほとんど息がないようだった。
「カラスがつつき回してたからよ。追い払うのに、パチンコ玉を投げたんだ。見ての通り、手遅れだったけどな」
パチンコ玉だった。空き缶ではない。
おはぎはんの足元から、パラパラ、ガラガラと世界が崩れていった。完璧だったはずの論理は、血の気とともに、さあっとどこかに霧散していった。パチンコ玉ならいいのか、そう考える暇もなく、膝から力が抜け、咄嗟にアスファルトに手をついた。夏の日に焼けたアスファルトが、彼女の手のひらにあとをつける。
羞恥と自己嫌悪で、視界が滲む。
太陽は、もう動かなくなったインコを無感情に見つめると、「ちっ」と舌打ちし、それをコンビニのゴミ袋が山積みになったてっぺんに放り投げた。死骸も、ゴミも、彼の中では同じ仲間らしかった。
公園のほうに歩き出した太陽が振り返った。
「おい」
おはぎはんの身体が、びくりと震える。
「そんなとこに座ってっと、お前もカラスに持ってかれるぞ」
太陽はそう吐き捨てると、二度と振り返らずに、公園の中へ消えていった。おはぎはんは、地面に手をついたまま、太陽の背中を見送ることしかできなかった。
缶コーヒーのぬるさ、自分の正義、小さな命は、決して溶け合うことがなかった。
了
作・千早亭小倉



