掌編「助け舟」

縁側で日向ぼっこをしながら、まんのすけは気持ちよさそうに目を細めていた。居間から聞こえる義理の姉・ばっしょいと近所の女たちの楽しげな会話に、時折「いや、その話の語源はだね」と口を挟んでは、「まんちゃんは物知りだねえ」と感心されたり、「また始まった」と苦笑されたり。おとなしくて優しいが、一度スイッチが入ると少々くどいのが、まんのすけという男であった。

ばっしょいが「お饅頭、お食べよ」と差し出すと、「おお、これはありがたい」とマスクをずらしてにこにこ頬張る。ただ、人見知りな性格もあってか、散歩に出る時だけは、顔の半分を覆うマスクが決まって彼の相棒になるのだった。

ある日の昼下がり、居間がいつもより浮き足立っていた。
「まあ、馬楼さんが来てくれるのかい」
「ありがたいねえ、あの人の落語法話は心が軽くなるよ」
酔酔亭馬楼。禅寺の副住職で、元落語家の人気者だ。夕食の席で、ばっしょいが「今度の日曜、馬楼さんがうちで落語法話やってくれるんだよ。まんちゃんも聴きなよ」と嬉しそうに言った。
まんのすけは、待ってましたとばかりに箸を置いた。
「ほう、あの坊さんのか。いや、悪くはないんだが、どうもあの人の落語はどれもテンポがな。本来、小気味よいリズムで畳み掛けるべきところを、妙な間で…」
「はいはい、わかったから」と、ばっしょいは笑って聞き流す。落語のこととなると途端に早口になる義弟は、実に楽しそうだった。

その夜。まんのすけは自室で、押し入れから取り出した古い扇子と手ぬぐいを手にしていた。襖を固く閉め、誰に聞かせるともなく、小声で何かを呟き始める。その唇が刻むリズムは、昼間の彼の弁舌よりも、ずっと滑らかであった。

日曜の午後、ばっしょいの家は満員御礼だった。即席の高座に上がった馬楼が話し始めると、まんのすけは縁側の隅で腕組みをし、批評家然として耳を傾けていた。
噺は面白い。だが、一番の聞かせどころで、それは起きた。
「えー、男はそこで、こう言ったんでございます。『てめえのその面ぁ、まるで…まるでその…』」
ぴたり、と馬楼の言葉が止まる。一度つまずいた舌は、焦れば焦るほど空転し、客席からは温かい笑いが漏れ始めた。馬楼の額に脂汗が滲む。
「……まるで、その…あれだ…」
もう駄目か、と誰もが思った、その時だった。

「——まるで、塗りたての便所の板に、うっかり腰を下ろしたみてえな、のっぺりとした面しやがって」

張りのある声が、縁側の隅から響いた。皆が声の方へ弾かれたように振り向く。
そこにいたのは、マスクを外し、すっと背筋を伸ばしたまんのすけだった。その顔は、高座を生業とするプロのように生き生きとしている。
「『なんだと、この野郎!』と熊さん。だが、八っつぁんは止まらねえ。『なんだとは何だ。図星だろうが。てめえの女房なぞ、長屋中の男ととっくの昔に…!』」
よどみない。馬楼が最も苦手とする早口の啖呵が、まんのすけの口から湧き水のように溢れ出る。扇子の使い方も、視線の配り方も、見事なものだ。呆然としていた馬楼も、その声に引き込まれるように、すっと噺の世界へと戻っていった。

一世一代の助け舟。まんのすけは、噺が軌道に乗ったのを見届けると、「…と、まあ、こういう具合だよ」と少し照れくさそうに呟いた。そして、何事もなかったかのように再びマスクを着けると、そそくさと自室の襖の向こうへ消えていった。

居間には万雷の拍手と、「まんちゃん、すごいのねえ」という感嘆の声、そして感謝と尊敬の念で、まんのすけが消えた襖をじっと見つめる馬楼の姿だけが残されていた。

作・千早亭小倉

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。 *The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
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