エッセー|上がり屋敷駅、数分間の永遠

執筆:鉄 美鈴(ここあん鉄道・駅員)

三丁目駅のホームに立つと、いつも肺の奥が少しだけチリつく。四時四分。一日に二回訪れる、針と針が重なるその瞬間に、M線の池袋行きが滑り込んでくる。この電車は、村と外の世界を繋ぐ唯一の細い糸だ。けれど、その糸は途中でひどく不器用にねじれ、絡まり、時にはほどけてしまっている。

「上がり屋敷」。かつて実在し、今は地図から消えたはずのその名前を、私たちは今も日常的に口にする。三丁目駅を出て、次の停車駅である西武池袋駅に着くまでの、わずか数分間。その短い闇の中に、上がり屋敷駅は幽霊のように横たわっている。乗客たちは、窓の外を流れるコンクリートの壁を見つめながら、自分たちが「時間の洗濯機」に放り込まれたことにも気づかずに揺られている。

車窓に映る彼らの顔を、私はいつも改札の隙間やホームの端から観察する。三丁目駅で電車に乗り込むとき、彼らの時計は確かに村の時間に従っている。けれど、トンネルの向こう、上がり屋敷の「ねじれ」を通り抜けるとき、世界は変質する。あるサラリーマンは、たった一駅の間に三日分の無精髭を蓄えて池袋に降り立つ。またある老女は、三丁目を出るときには重そうに引きずっていた銀色の杖を、上がり屋敷を過ぎる頃には忘れ物として座席に残し、背筋を伸ばして改札を抜けていく。

彼らは何を失い、何を得るのか。私は、電車が去った後の無人のホームを掃き清めながら、その答えの破片を拾い集める。ちりとりの中に入るのは、糸くずや砂埃だけではない。そこには、目に見えない「時間の屑」が溜まっている。それは、誰かが上がり屋敷で落としていった、言えなかった言葉の残り香だったり、忘れてしまったはずの幼い日の手のひらの熱だったりする。 それを掃き集めるとき、私の右手の指先はいつも、氷を触ったあとのように感覚がなくなる。

先日、一人の若い男が三丁目駅のベンチに座り込んでいた。彼は上がり屋敷経由で池袋から戻ってきたばかりのはずだったが、その瞳には、村の誰もが持っていないような、ひどく澄んだ、けれど空っぽな光が宿っていた。「駅員さん」と、彼は掠れた声で私を呼んだ。

「僕はあそこで、十年くらい、ずっと誰かを待っていたような気がするんです」

私は、彼の制服の袖が、ほんの数分前よりも少しだけ色褪せていることに気づく。

「それは、お疲れ様でございました」

私は、事務的な言葉を返すことしかできない。彼の十年間は、M線の加速とともに数秒に圧縮され、その重みだけが彼の肩に沈殿している。彼は何かを得たのだろうか。それとも、ここあん村で過ごすべきだったはずの、穏やかな十時間を奪われたのだろうか。

上がり屋敷駅は、ただの駅ではない。それは、私たちが「あのこと」で失った、一列に並ぶはずだった時間の墓標だ。 時間は、本当は川のように流れるものではない。それは、誰かの手によって、あるいは何かの拍子に、折り畳まれたり、破られたりする厚紙のようなものだ。 私たちは、その破れた紙の端っこを、上がり屋敷という場所で無理やり繋ぎ合わせている。

私の制服のポケットには、いつも使い古された懐中時計が入っている。それは、一秒を正確に刻むための道具ではない。上がり屋敷の闇を通り抜けるとき、狂いそうになる自分の鼓動を、無理やり鉄の規則に縛り付けるための重りだ。

「出発、進行」

指差喚呼しさかんこの声が、冷たい空気の中へ溶けていく。私の声は、上がり屋敷のねじれに飲み込まれ、いつか誰かの耳元に、数年後の未来、あるいは数年前の過去の囁きとして届くのかもしれない。

まるさんは、私の文章には「油の匂い」がすると言った。 それは、この駅を絶え間なく削り取り、摩耗させていく時間のきしみを抑えるための、機械油の匂いだ。私は、今日もお節介な時間の番人として、ホームに立つ。上がり屋敷という永遠に足を取られ、帰ってこられなくなる人が一人も出ないように。 白い手袋をきつく嵌め直し、私は次の「四時四分」を待っている。

■ 編集委員による最終評価

徒然士 論理的な観点から一点だけ指摘させていただきます。物理的な時計の針において、四時四分に長針と短針が重なることはありません。しかし、この「四」という数字が執拗に繰り返されることで、文章全体に死の影のような、あるいは不吉な静謐さが宿っています。この論理的エラーこそが、上がり屋敷という「バグ」の正体であると解釈し、あえてそのまま掲載する。それがこのZINEの様式美における「正しい歪み」であると判断しました。

真田 まる: ウチ、この文章を読んでると、指の先が冷とうなってくる気がします。鈴子ちゃんがちりとりで集めた「時間の屑」。それが単なるゴミやなくて、誰かが置いていかはった「言えなかった言葉」やっていうところに、この村の本当の寂しさと優しさが詰まってますね。このまま、一文字も変えんと載せてあげたいです。

リリカ 「時間の洗濯機」というフレーズだけは評価します。この村の住人たちが共有している、あの震災以降の「ぐちゃぐちゃにされた時間」を、これほど即物的に言い表した言葉は他にありません。十年の断層を数秒に圧縮されるあの男の絶望は、データとしては不備ですが、物語の「欠損」としては極めて良質です。

鴨下 留美子: 鈴子、あんたが最後に「白い手袋を嵌め直す」ところ。そこが一番残酷で、一番いいわ。駅員という役割に逃げ込むことでしか、あんたはこの村の歪みに耐えられない。その「正しさ」への執着が、読む側の胸をザラつかせる。四時四分の間違いなんて、この際どうでもいいわよ。現実が間違っているんだから、言葉が正しくある必要なんてないもの。

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。 *The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
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ZINE「ほつれ」
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