お題003. 白と黒の不均衡

スタジオの防音扉が閉ざされた密室には、空調の微かな駆動音だけが沈殿している。ひなは、練習の手を止め、グランドピアノの鍵盤蓋フォールボードの黒塗りに映り込んだ、自分の指先を見つめていた。

二十五年以上、毎日飽きもせず叩き続けてきた八十八個の並び。しかし今、ふと視界の焦点をずらした瞬間、それが見知らぬ幾何学模様に見えてくる。白鍵の平原と、そこから突き出した黒鍵の突起。等間隔ではない。二つ並んで、一つ空き、また三つ並ぶ。その不規則な繰り返しが、横へ横へと伸びている。

なぜ、すべて均等な高さではないのか。なぜ、白と黒なのか。ひなは、人差し指の腹で、黒鍵の側面をなぞった。黒檀調の、わずかにざらついた冷ややかな感触。

もし、すべての鍵盤が白く、平坦に並んでいたらどうなるだろう。指は道に迷い、十二平均律という地図を失う。この「凸凹」が、音に住所を与えている。突き出ているからこそ、指はそこを支点として位置を知り、沈んでいるからこそ、安心して指を滑り込ませることができる。

不均衡であることの、なんと合理的なことか。ひなは、このアンバランスな配列が、急に愛おしい構造物のように思えてきた。整然としすぎた世界では、人は立っていられないのかもしれない。少しの段差と、規則的な隙間。

ひなは呼吸を整え、手探りで二つの突起を確かめると、そのすぐ隣の位置に親指を滑らせた。迷いようがない。指先がその場所を記憶しているのではない。鍵盤の凸凹が、指をそこへ導いてくれるのだ。沈黙していた空気が、打鍵の予感に震える。彼女は、確信を持って、最初の一音を世界に落とした。

作・千早亭小倉

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*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。 *The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
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「二つ目と代弾き」シリーズ
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