登場人物:菜箸千夏、菜箸かな
菜箸千夏(28歳・図書館司書)は、分厚い国語辞典のページを指で挟んだまま、小さくつぶやいた。
「……『安心』の語釈が、冷たすぎる」
千夏の姉かな(34歳・翻訳家)は、手元の洋書から視線を上げずに答える。
「辞書はカウンセラーじゃないわよ。事実を定義してるだけ」
「でも、『心が安らぐこと』だけじゃ、不安の裏返しみたいです。もっとこう、冬の朝の毛布みたいな、絶対的な肯定感が欲しい」
「言葉に体温を求めないで。翻訳が難しくなるから」
千夏は辞書を閉じようとするが、指を抜くタイミングを失っている。
「……付箋、貼っておこうかな。『諸説あり』って」
「やめなさい。あなた司書でしょう? 利用者を混乱させてどうするの」
「じゃあ、そっと栞を挟んでおこう。可愛い猫のやつ」
「猫は『安心』の定義には含まれないけど」
「私の定義では必須です」
千夏は真顔で、猫のイラストが描かれた栞を「あ」の項目の隙間に埋葬した。
作・千早亭小倉
![[公式]千早亭小倉の世界 | ここあん村案内所](https://atelier-cocoan.com/wp-content/uploads/2026/01/tops2.jpg)

