移動図書館日記(29)

これは、日記という名を借りた私の記憶。

某月某日

東風公園の仮設団地。集会所の前でロマコメ号を停めると、中から、いつもより大きな、湯気の立つようなざわめきが聞こえてきた。「お茶っこ」の最中だ。

私の運行計画ダイヤでは、ここは「静かに本を選ぶ場所」。でも、現実は違う。お茶の匂いと、いくつものおしゃべりが混じり合った、柔らかい混沌。私の背筋が、無意識に少し強張る。

中を覗くと、輪になって座る人たち。その中心に、ツアキさんがいた。彼女は、いつもは少し影があるのに、今日は明るく笑っている。 その向かいの女性が「ツアキさん、パッチワークがそんなに得意だったなんて、全然知らなかった」と驚いたように言った。すると、隣に座っていた別の方が、自分のことのように誇らしげに「そうよ、ツアキさんはこんなに(と、両手を大きく広げて)大きいのを作るのよ」と続く。

ツアキさんは、少し照れくさそうに「そんな……」と俯いたけれど、向かいの女性が「ねえ、今度教えて。わたし、興味あったのよ」と身を乗り出した。

その瞬間、はっとした。 明るく見えるこの団地でも、「顔は知っている」というだけで、互いの名前や、ましてや趣味なんて、ほとんど知られていない。「アレ」のあと、急ごしらえで作られたこの場所では、人々はまだ、互いに「分類未了」のまま、隣り合って暮らしている。その事実に、私の胸が少しざわつく。

ふと、L.M.モンゴメリの『赤毛のアン』のお茶会を思い出した。アンが、ダイアナを精一杯もてなそうとした、あのお茶会。あれは、二人の友情を確かめ、アヴォンリーというコミュニティの一員になるための、ささやかで大切な儀式だった。

今、目の前で起きていることも、それと同じなのかもしれない。 非効率で、雑然とした「おしゃべり」に見えるこの時間は、本当は、バラバラになったコミュニティの糸を、一本一本、手探りで紡ぎ直している、大切な時間なんだ。

「パッチワークの本、ありますよ」 私は、いつの間にか声に出していた。ロマコメ号に戻り、棚から何冊か抜き出して持っていくと、さっきの女性が「わあ、ありがとう!」と嬉しそうに借りていってくれた。亜紀さんも、私を見て、小さく頷いた。

私の持ってきた「本」という秩序が、彼女たちの「知りたい」と「伝えたい」を結びつける、具体的な座標軸になった。

「お茶っこばかりで飽きられている」という声も最近は聞かれる。でも、今日見た光景は、合理的かどうかではなく、この時間がどれほど人を温め、繋いでいくかを静かに教えてくれていた。私の分類棚にある「雑談=非生産的」という項目は、今日、見直すべき項目リストの、一番上に移動した。

これは、日記という名を借りた私の記憶。

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。
*The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
*無断転載禁止 Copyright © 2025 千早亭小倉|話紡庵レーベル All Rights Reserved.

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。
*The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
*無断転載禁止 Copyright © 2025 千早亭小倉|話紡庵レーベル All Rights Reserved.

BMサブカテゴリー
higashiboctokをフォローする
タイトルとURLをコピーしました