移動図書館日記(30)

これは、日記という名を借りた私の記憶。

某月某日

ロマコメ号を走らせていると、ここ数日、村のあちこちで工事の音がする。東風公園の仮設団地の近く、あの何もなくなってしまった更地に、新しく鉄骨が組まれていく。

商店街の再建。

あの音を聞くと、今でも、胸の奥が少しざわつく。「あのこと」の直後、すべてが崩れ、失われた秩序の残骸の中で響いていた、あの重機の音。あの音は、終わりを告げる音だった。でも、今聞こえる音は、違う。始まりを告げる音だ。

わかっているのに、ハンドルを握る手に、一瞬、力が入る。

スーパーの移動販売車が来るようになっただけでも、人々の生活の「座標軸」は少し安定した。でも、車で15分も行かないと店がない場所もまだ多い。あそこに新しいお店ができれば、人々が「出かける」ための、新しい座標軸が生まれる。それは、この移動図書館車「ロマコメ号」が目指しているものと、同じだ。

昨日、集会所で会ったおかあさん。いつも静かに編み物をしているあの人が、今度お店を始めるのだという。

「70歳過ぎてから焼き鳥屋やるなんて、思ってもみなかったわ」

そう言って、皺の寄った手で、自分の膝を叩いて笑っていた。

私の頭の中の索引カードが、また静かに動き出す。『分類:高齢者』『項目:再就職、起業』……。 でも、どの分類にも、あのカラカラとした明るい笑い声は収まらない。

ふと、アーネスト・ヘミングウェイの『老人と海』を思い出した。サンチャゴは、人生の終わりに、たった一人で巨大なカジキと戦った。あの不屈の精神。でも、あのおばあちゃんは、何かに「戦いを挑む」というより、もっとずっと、しなやかだ。まるで、「アレ」によって一度更地になってしまった自分の人生の最後のページに、新しく、温かい煙の上がる挿絵を描き足そうとしているみたいだ。

70歳からの、焼き鳥屋。 それは、私の知っているどの物語の秩序にも当てはまらない、予測不能で、力強い「ロマン」だ。

最初の火入れの日。ロマコメ号の運行が終わったら、立ち寄ってみよう。塩の効いた、熱々の焼き鳥。それはきっと、どんな本に書かれた言葉よりも、確かな「生活」の味がするはずだ。その熱い秩序を、私も少し分けてもらおう。

これは、日記という名を借りた私の記憶。

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。
*The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
*無断転載禁止 Copyright © 2025 千早亭小倉|話紡庵レーベル All Rights Reserved.

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