これは、日記という名を借りた私の記憶。
某月某日
ロマコメ号を走らせていると、ここ数日、村のあちこちで工事の音がする。東風公園の仮設団地の近く、あの何もなくなってしまった更地に、新しく鉄骨が組まれていく。
商店街の再建。
あの音を聞くと、今でも、胸の奥が少しざわつく。「あのこと」の直後、すべてが崩れ、失われた秩序の残骸の中で響いていた、あの重機の音。あの音は、終わりを告げる音だった。でも、今聞こえる音は、違う。始まりを告げる音だ。
わかっているのに、ハンドルを握る手に、一瞬、力が入る。
スーパーの移動販売車が来るようになっただけでも、人々の生活の「座標軸」は少し安定した。でも、車で15分も行かないと店がない場所もまだ多い。あそこに新しいお店ができれば、人々が「出かける」ための、新しい座標軸が生まれる。それは、この移動図書館車「ロマコメ号」が目指しているものと、同じだ。
昨日、集会所で会ったおかあさん。いつも静かに編み物をしているあの人が、今度お店を始めるのだという。
「70歳過ぎてから焼き鳥屋やるなんて、思ってもみなかったわ」
そう言って、皺の寄った手で、自分の膝を叩いて笑っていた。
私の頭の中の索引カードが、また静かに動き出す。『分類:高齢者』『項目:再就職、起業』……。 でも、どの分類にも、あのカラカラとした明るい笑い声は収まらない。
ふと、アーネスト・ヘミングウェイの『老人と海』を思い出した。サンチャゴは、人生の終わりに、たった一人で巨大なカジキと戦った。あの不屈の精神。でも、あのおばあちゃんは、何かに「戦いを挑む」というより、もっとずっと、しなやかだ。まるで、「アレ」によって一度更地になってしまった自分の人生の最後のページに、新しく、温かい煙の上がる挿絵を描き足そうとしているみたいだ。
70歳からの、焼き鳥屋。 それは、私の知っているどの物語の秩序にも当てはまらない、予測不能で、力強い「ロマン」だ。
最初の火入れの日。ロマコメ号の運行が終わったら、立ち寄ってみよう。塩の効いた、熱々の焼き鳥。それはきっと、どんな本に書かれた言葉よりも、確かな「生活」の味がするはずだ。その熱い秩序を、私も少し分けてもらおう。
これは、日記という名を借りた私の記憶。
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