これは、日記という名を借りた私の記憶。
某月某日
私たちの運行に新しいスタッフが加わった。専属ドライバーのHさん。
これまで、運転は私や真木先輩が兼務していた。すべてが私の把握できる範囲、完璧な秩序の中にあった。
でも今、運転席には白いひげのHさんが座っている。図書業務に専念できるのは合理的だ。そう納得する。
Hさんは、とてもおしゃべり好きだ。巡回中、助手席の私は、いつも彼の話を聞いている。その大半は、私の分類棚のどこにも収まらない、とりとめのない「雑談」。ここあん村の昔話(これはNDC 388だ)かと思えば、昨日の夕飯の話になったりする。
この前、Hさんが「いやあ、最近、赤ずきんバーが大変でねえ」と言い出した。
「赤ずきんバー」?
私の頭の中の索引が一斉に動き出す。NDC 943(グリム童話)、あるいは 384(民俗・風俗)? それとも、メイド喫茶の類だろうか。ここあん村に、そんな場所が? 私のデータベースに存在しない。秩序の外側の事象。
(なぜそんな話を? でも、何か意図があるはず……)
私の頭は混乱していたけれど、静かに相槌を打つ。
「……大変なんですねえ」
早く情報を引き出し、この新しい事象を正確に分類しなくては。
するとHさんは、助手席の私をちらっと見て言った。
「大変だよ、『赤字の現場』はどこもかしこもね」
……あかじの、げんば。
一瞬、ロマコメ号のエンジン音だけが響いた。 私の完璧な分類システムが、ただの「聞き間違い」という、最も単純なエラーによって停止した。
喉の奥で、忘れていた笑い声の出し方を思い出しそうになる感覚。でも、うまく唇の形にできない。昔の私なら、「もう、Hさんったら!」と自分の聞き間違いを棚にあげて、声を出して笑い転げていたはず。
以前、童話の『赤ずきん』に隠された無意識の象徴を読み解こうとした本を読んだ。私はといえば、勝手に「バー」という言葉から「混沌」という象徴を読み込もうとしていた。けれども、現実は、もっとずっと切実な「生活(赤字)」の話だった。
いつもこうだ。現実の、こういう滑稽で、あたたかい「ズレ」から、いつも取り残されている。
これは、日記という名を借りた私の記憶。
![[公式]千早亭小倉の世界 | ここあん村案内所](https://atelier-cocoan.com/wp-content/uploads/2026/01/tops2.jpg)
