これは、日記という名を借りた私の記憶。
某月某日
巡回を終え、地下駐車場 の定位置にロマコメ号を停める。一日の汚れを拭き取っていると、車体の側面に描かれた、あの言葉が目に留まった。
――おしゃべり、道草、ものがたり。
アレの状況がやっと少し落ち着き、図書館は避難所のままだったけれど、その中でも私たちは、「じっと待っているだけじゃだめだ」「本を、物語を、届けに行かなくちゃいけない」という話をしたのだった。
そして、この車が図書館の仲間に加わることになったとき、ここあん村のみんなから募って選ばれたキャッチフレーズが、「おしゃべり、道草、ものがたり。」だった。正直に言えば、最初にこの言葉を聞いた時、私は少しだけ戸惑った。「図書館」というからには、「知の泉」とか「教養の道標」とか、もっとこう秩序正しい言葉であるべきではないか、と。私の頭の中の書棚が、そう分類しろとささやいていた。
今は、そんな自分をおかしく思う。だって、その後すぐに、この車に「ロマコメ号」なんてふざけた名前を私自身がつけることになるのだから。当時の副館長、高島課長に「不真面目だ」と一度は却下された名前。私の心の奥底に、分類不能なユーモアのかけらがかろうじて残っていたようだ。
ロマコメ号は、ただの本の貸出場所ではなかった。本を届けるだけなら、それは「移動図書」と呼べばいい。でも、私たちが目指したのは、確かに「移動図書館」だった。人が集い、繋がり、心に寄り添う場所 。
不意に、クリストファー・モーリーの『車輪の上のパルナッソス(Parnassus on Wheels)』を思い出した。主人公が、本をぎっしり積んだ馬車で田舎町を巡る物語。あの馬車は、ただ本を売るだけじゃなく、人々の心に、新しい考えや、生きる活力を届けて回っていた。私たちのロマコメ号も、きっとそうだ。
「おしゃべり」は、オーニングの下で生まれる、あたたかい時間。「道草」は、本を借りるという明確な目的がなくても、ふらりと立ち寄れる居場所。そして「ものがたり」は、私たちが届ける本そのもの(ロマン)と、そこで出会う人々が紡ぎ出す、かけがえのない日常(コメディ)のこと 。
このキャッチフレーズは、私の守りたい完璧な秩序とは、少しだけ違うかもしれない。けれど、これこそが、アレの後のこの村に必要な、あたたかくて、少しだけ無秩序で、かけがえのない「居場所」のしるし。だから今、私たちがこの言葉と一緒に走っていることが、少しだけ、誇らしい。
これは、日記という名を借りた私の記憶。
![[公式]千早亭小倉の世界 | ここあん村案内所](https://atelier-cocoan.com/wp-content/uploads/2026/01/tops2.jpg)
