移動図書館日記(44)

これは、日記という名を借りた私の記憶。

某月某日

雨の予報ははずれ、朝から雪だった。

腕自慢のドライバーのHさんも、笑いながら「こりゃ難儀だ」と繰り返していたが、目は真剣だった。「難儀」の言葉通り、ロマコメ号もいつものような設営は望めなかった。雪は、私の完璧なはずの運行計画を、いとも簡単に白紙に戻していく。

結局、ボストー区の復興住宅では、集会所の中をお借りして、本のコンテナを並べることになった。日よけテントも広げられない、マニュアルにはない運用。私の聖域であるはずの書架の配置が、今日はいつもと違う。その小さなズレが、私の背中を一日中こわばらせる、はずだった。

でも、集会所の中は、石油ストーブの匂いと、いつもより弾んだ人々の声で満ちていた。外が荒れているからこそ、人々が自然と身を寄せ合う。私が守ろうとしていた「静かな秩序」とは違う、もっと騒がしくて、あたたかい混沌。その輪の中で、ふと、誰かが呟くのが聞こえた。

「アレのときは、家もまわりの木も根こそぎ持っていかれたけれど、草ってのは丈夫なもんだよね。あの後、スズランが咲いてるんだもの」

その言葉に、息が詰まった。

私の脳裏をよぎるのは、いつも、失われた「木」の記憶だ。根こそぎ倒され、瓦礫と化した、巨大な書架。私が守ろうとしていた、大きな秩序。

でも、呟きの主が見ていたのは、違う。もっと足元の、踏みつけられても、雪の下になっても、必ず芽吹く「草」の強さ。雪割草、福寿草、蕗の薹……。私の分類棚の、NDC 470(植物学)の棚にある、小さな、けれど確かな存在。

不意に、サムイル・マルシャークの戯曲『森は生きている』を思い出した。あの物語で、少女が吹雪の中で探すのは、待雪草。人間の都合などお構いなしに巡る、厳格な季節の「掟」。集会所で聞いた言葉は、まるで、あの物語そのもののようだった。

「あのこと」という巨大な冬も、抗いがたい自然の掟の一部。でも、その掟の中には、必ず四月の草花が含まれている。

私の守ろうとしていた秩序は、もしかしたら、失われた「木」に固執する、脆いものだったのかもしれない。彼女たちは、私のずっと先で、混沌とした瓦礫の中から、ちゃんと「スズラン」を見つけ出し、新しい日常を始めている。

この、雪の日の集会所で生まれた、あたたかい混沌。貸出記録という「量的データ」には残らない、この言葉の温度。活動日誌の「定性的記録」の欄に、そっと書き留めておこう。

――スズラン。春に、咲く。

これは、日記という名を借りた私の記憶。

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。
*The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
*無断転載禁止 Copyright © 2025 千早亭小倉|話紡庵レーベル All Rights Reserved.

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