これは、日記という名を借りた私の記憶。
某月某日
もうすぐ、あの日が来る。「あのこと」が起こってから、何回目かのあの日が。今年も、一か月ほど前からここあん村の空気がざわついている気がする。
あのことから一年後の日のことを思い出した。運行計画では、ロマコメ号が東風公園の仮設住宅を巡回する日だった。
私は運行するものだと思っていた。
雨の日も、雪の日も、ロマコメ号を定刻通りに走らせること。その完璧な「秩序」こそが、あの巨大な無秩序に対する、私の唯一の抵抗であり、防衛線なのだから。スケジュール通りに本を届けること。それこそが、私たちの「日常」が負けていないという、何よりの証明になるはずだった。
でも、真木先輩や美桜さんと話して……。そして、東風公園の仮設団地の区長さん にも、そっと相談してみた。
区長さんは、いつもの力強い顔を少しだけ曇らせて、こう言った。
「ちなっちゃん。ありがたいけどな、あの日は……うん、俺たちも、どうしていいか分かんねえんだ。だから、そっとしておいてくれるのが、一番かもしれねえな」
その言葉に、頭を殴られたような衝撃を受けた。
私は、私たちが「支援する側」で、彼らが「支援される側」だと、どこかで無意識に分類していた。でも、違う。
私たち図書館員だって、みんな、あの図書館で、毛布にくるまっていた被災者じゃないか。高島課長も、真木先輩も、美桜さんも、私も。区長さんも、私たちも、みんな等しく、あの無秩序の中に放り込まれた生存者だ。
カート・ヴォネガットの『スローターハウス5』を思い出す。主人公が、時間の束縛から解き放たれてしまう、あの感覚。解き放たれたというと聞こえはいいが、時間が外れた状態だ。
あの日が近づくと、私たちここあん村の住民は、みんな「アンスタック」になってしまうのかもしれない。前に進んでいるようでいながら、どこにいても心だけは、あの日の粉塵と紙の匂いと絶望が混じり合った、避難所と化した図書館の床に引き戻されてしまう。
私の守ろうとした「秩序」は、その日だけは、あまりに無力で、もしかしたら、残酷なものだったのかもしれない。
ロマコメ号は、一年目のその日、お休みに決まった。
まず、「私は、一日、どう過ごすんだろう」と戸惑った。きっと、自分の部屋にはいられなくて、誰もいない図書館の、地下の閉架書庫 に、こっそり紛れ込んでいる気がする。あの、完璧な静寂と、分類された本の匂いの中だけが、私のシェルターだから。そう考えたのを覚えている。
そして、次の日。
また、何事もなかったかのように、私はロマコメ号のキーを回した。それもまた、私の大切な「秩序」であり、仕事なのだから。
これは、日記という名を借りた私の記憶。
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