移動図書館日記(49)

これは、日記という名を借りた私の記憶。

某月某日

図書館の閉架書庫は、NDC(日本十進分類法)という完璧な秩序に守られた、私にとって一番大切な場所。ひんやりとした空気が、私の強張った思考をいつも少しだけ、解きほぐしてくれる。

今日、一番奥にある、郷土資料の分類(NDC 291)の棚と、冷たいコンクリートの壁とのわずかな隙間に、何かが挟まっているのを見つけた。埃をかぶった、木製の額縁のようなもの。私の頭の中にある管理台帳のリストには、こんなものはなかったはずだ。イレギュラーな事象に少しどきどきした。

そっと、埃を立てないように引きずり出すと、それは古い標語の額だった。陽に焼けて褪せた紙の上に、けれど、力強い筆文字の言葉が並んでいる。

「朝のあいさつは元気に」

「あいさつは自分からすすんで」

あいさつに関する標語ばかりが、五つ。

初めて見た。私が入職する前の図書館には、これが壁に飾られていたのだろうか。それが、なぜ、こんな誰も気づかないような場所に、押し込めるように。

ふと、新美南吉の『おぢいさんのランプ』の物語を思い出した。かつては村の夜道をたった一人で照らしていた、あの古い石油ランプ。でも、電灯という新しい、もっと効率的で明るい光が現れると、ランプはもう無用なものとして、隅に追いやられてしまった。

この標語の額も、同じなのかもしれない。

以前は、この図書館のどこか……例えば、児童書コーナーの壁にでもかけられていて、訪れる人たちの心をそこから照らす、ささやかな光だったのかもしれない。「元気に」「自分から」という、指針。

その「元気さ」は、いつからかこの場所にそぐわなくなったのだろうか。

……ああ、そうか。「あのこと」の後だ。

避難所となった、この図書館。床に敷き詰められた毛布と、不安と疲労が混じり合った、重たい空気。あの薄暗がりの中で、私たちはただ息を潜め、秩序がこれ以上崩れないよう、必死で防衛線を張ることしかできなかった。

『秩序を乱すな』

高島副館長の張り詰めた声が耳に蘇る。あの空気の中で、「元気に」なんて、確かに誰も言い出せなかった。

すべて、想像でしかない。なぜ、戻さなかったのだろう。それも、わからない。

そっと額を元の本棚の裏に戻す。私には、まだ、この標語を分類する場所が見つからない。私の心の書棚の、どこにも。

これは、日記という名を借りた私の記憶。

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。
*The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
*無断転載禁止 Copyright © 2025 千早亭小倉|話紡庵レーベル All Rights Reserved.

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