これは、日記という名を借りた私の記憶。
某月某日
同僚の鈴木美桜さんから、昨日参加したというNPOの会議で聞いた話を、いつものあの屈託のない調子で聞かされた。私の苦手な、ああいう「会議」の場にも、彼女はひょいと飛び込んでいける。その軽やかさが、時々、眩しい。
「『移動図書館は、人目も気にせず通いやすいから本当にありがたい』って、言ってくれた人がいたらしいんですよ。私たちが行ってる仮設団地のどこかですよね」
その言葉に、私はカウンター業務用の笑顔を貼り付けたまま、内心、胸を突かれていた。
――人目を気にせず。
私の頭の中の索引カードが、静かに動き出す。『分類:369(社会福祉)』『キーワード:引きこもり、社会的孤立』。図書館という「公の場」に行くこと自体が、まだ、外着に着替えるのと同じくらいのエネルギーを必要とする人たちがいる。私たちがロマコメ号でやっていることは、そういう人たちの、その「人目」という防衛線の内側まで、そっとお邪魔する行為なのかもしれない。
「その人、何もできることがなくて、将来は絶望的だった、って……」
美桜さんの声が、少しだけトーンを落とす。
――絶望。
その言葉は、私の心の書棚の、一番奥で埃をかぶせていた一冊を、無理やり引きずり出す。「あのこと」の直後、図書館が避難所と化し、NDC(日本十進分類法)が何の意味も持たなくなったあの場所で、私だって感じていた、あの冷たい手触り。私たちも皆、絶望の縁にいた。
美桜さんは、さらに続けた。
「だから、『心が楽になる本』とか『折れそうな時に自分を助ける本』みたいなコーナーを、ロマコメ号にも作ったらどうかって、アドバイスされたんです。どう思います、千夏さん?」
私の思考は、また、分類棚に戻ってしまう。「心が楽になる本」。なんて、曖昧で、主観的で、分類不能な……。
いや、本当にそうだろうか。長田弘さんの『世界はうつくしいと』という詩集を思い出した。あの本は、何か具体的な解決策を教えてくれるわけじゃない。ただ、世界がこんなにも静かな驚きに満ちている、という「視線」そのものを、そっと手渡してくれる。
私たちが届けているのは、そういうことなのかもしれない。「絶望」という、たった一つの色に塗りつぶされた世界に、別の色の絵の具がまだ残っていることを、本の形をして伝えにいくこと。
それでも、「心が楽になる本」なんていう棚を、私に作れる自信はない。どの本を、どの分類(コード)で並べればいいのか、きっと途方に暮れてしまうから。
「……そう、ですね。少し、考えてみます」
美桜さんのように、「いいですね! すぐやりましょう!」なんて、とても言えない。私は、彼女が持って帰ってきた、このあたたかくて分類不能な「宿題」を、どう処理すればいいのかわからないまま、ただ頷くことしかできなかった。
業務日報には書けない。でも、この「心が楽になる本」という分類未了の付箋を、私の心の書棚の、一番目立つところに、そっと貼っておこう。
これは、日記という名を借りた私の記憶。
![[公式]千早亭小倉の世界 | ここあん村案内所](https://atelier-cocoan.com/wp-content/uploads/2026/01/tops2.jpg)

