これは、日記という名を借りた私の記憶。
某月某日
今日は、図書館代表として、村のおはなしグループと、村外の図書サークルとの意見交換会に出席した。私の完璧な運行計画にはない、イレギュラーな業務。こういう場は、予測不能な発言が飛び交うから、少し苦手だ。
最初は、和やかなものだった。「イベントを一緒に」「土日も手伝えないか」と、前向きな言葉が並ぶ。時おり、笑いも起こる。私の頭の中の索引カードには、『分類:地域連携』『ステータス:良好』と印字されかけていた。
その調和を、おはなしグループの代表の方の一言が、静かに破った。
「一緒にやれるのはありがたいけれど、外の団体は動きが派手なので。私たちが地道にやっていこうとするのを、失礼だけれど、邪魔はしないでほしい」
――邪魔。
その言葉が、私の胸に重く突き刺さった。私の頭の中の分類棚が、カタンと音を立てて揺れる。「あのこと」の後、私たちの図書館にも、支援の声がたくさんあった。その中には、確かに、有名人がやって来て写真を撮るだけのような、誰のためのものかわからない、騒々しい混沌もあった。
ふと、ジェイン・ジェイコブズの『アメリカ大都市の死と生』を思い出した。彼女は、都市計画家たちが押し付ける「合理的」な秩序が、いかにその土地で暮らす人々の、複雑で有機的な「秩序」を破壊するかを説いていた。
おはなしグループの代表の方が守ろうとしていたのも、それだ。外部からの「派手な」善意が自分たちの「地道な」ペースを乱すことへの切実な防衛線。それは、私がこの仕事に求める「防衛線」 と同じ響きを持っていた。 代表の隣にいた男性が「活動再開はそれぞれのペースがあるからね」と静かに補った言葉。そうだ、私たち図書館が守るべき秩序も、本来はそういう、一人ひとりの「ペース」に寄り添うものであるはずだ。
図書館に戻り、同僚の鈴木美桜さんに話をすると、彼女は「ビラ配りでもなんでも、後方支援に徹しますよ!」と、力こぶを作って見せた。あの、少し古くさいポーズ。美桜さん、どこで覚えたんだろう。でも、その屈託のなさが、私の張り詰めていた空気を、少しだけ緩めてくれた。
私たちのロマコメ号は、どうだろうか。私たちは、「支援」という名の派手な押し付けを行っていないだろうか。後方支援。美桜さんの言葉を、業務日報ではなく、このノートにだけ、書き留めておこう。分類は、まだできないままで。
これは、日記という名を借りた私の記憶。
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