移動図書館日記(52)

これは、日記という名を借りた私の記憶。

某月某日

ロマコメ号で仮設団地を回るようになって、どれくらい経っただろう。

「ありがとう」

「ありがたい」

巡回先では、本当にたくさん、この言葉をいただく。私の頭の中の分類棚では、『分類:活動評価』『ステータス:良好』のカードが、一番手前に並ぶ瞬間だ。

でも、時々、その言葉が、私の予測とは違う文脈で使われることに気づいた。会話の途中で、ふと、相手が「ありがとうねえ」「本当に、ありがたいよ」と、まるで合いの手を入れるかのように、その言葉を連発し始めるときがある。

私の完璧な運行計画には、「心に寄り添う」「まず『聞く』ことに徹する」と、マニュアルにも書かれているのに。

もしかしたら……私が、喋りすぎているのかもしれない。

こちらが何かを伝えよう、役に立とうと必死になるあまり、言葉が「押しつけ」になっている時。私の早口な「秩序」と、相手のゆったりとした「時間」のリズムが合わないから、相手は「ありがとう」という、一番安全で、当たり障りのない言葉でしか、応えられなくなっている。

ふと、トゥルーマン・カポーティの『ティファニーで朝食を』を思い出した。あの物語の主人公、ホリー・ゴライトリー。彼女は、自分の本心(=本名のルラメイとしての自分)を隠すために、マシンガンのように喋り続け、相手を煙に巻く。私も、同じことをしているのではないか。「支援する司書」という役割を演じることに必死で、一方的に言葉を投げかけ、相手を私の「おしゃべり」の観客にしてしまっているとしたら。

相手の「ありがとう」の連発は、彼女たちの優しさであり、同時に、私の押しつけがましさに対する、静かな防衛線なのかもしれない。私が「秩序」だと思ってやっていたことが、相手にとっては「混沌」になっているなんて。正しさの迷惑……。傲慢。

(昔の私なら、「あ、ごめんなさい、喋りすぎました!」って、素直に頭をかいて、一緒に笑えたのに……)

今の私には、その「ありがとう」の裏にある、分類不能な感情の重さを、ただ受け止めることしかできない。

この気づきも、業務日報には書けない。高島副館長は、「それは主観的な反省だ」と言うだろう。聞かなければ。分類しようとする前に、まず、ただ、聞く。

これは、日記という名を借りた私の記憶。

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。
*The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
*無断転載禁止 Copyright © 2025 千早亭小倉|話紡庵レーベル All Rights Reserved.

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