これは、日記という名を借りた私の記憶。
某月某日
同僚の美桜さんの部屋で、「ステキ司書女子会」をすることになった。美桜さんらしい、分類不能で、きらきらした言葉。私には、とても思いつかない……というか、口にしづらい。
少し遅れると連絡をくれた真木先輩を待つ間、美桜さんの部屋の中をぐるっとながめる。図書館のデスクと同じように、たくさんの「モノ」が、彼女だけのルールで積み上がっている。私の心の書棚(NDC)とは全く違う体系。でも、不思議と息苦しさはなかった。この混沌は、美桜さんの人柄そのものが作り出す、あたたかい「居場所」なのだ。
所在なく本棚を眺めていたら、無造作に差し込まれた一冊の薄い冊子が目に入った。
『トランヴェール』。 表紙の、どこまでも広がる青い空。その下には、鮮やかな緑の田園風景と、まんなかあたりに伸びる線路。そして、中央に記された言葉。
――[特集]共に。~東日本、明日へのメッセージ~
息が、一瞬だけ浅くなった。ここあん村の「あのこと」よりもっと前、日本中が巨大な無秩序に覆われた、あの時の記憶。この号は、私も知っている。2011年6月号。いつもの旅の特集ではなく、作家さんたちのエッセーが並んだ、特別な号だった 。高橋克彦さん、佐藤賢一さん…… 。私の心の中では、「共にと書いてある、あの」と中途半端に分類されている。
あのころ。私は、このページをめくることができなかった。正確には、言葉があまりに無力に思えてしまって、活字になった「現実」の重さを受け止めるのが、しんどくて、怖かったんだ。
ふと、村上春樹の『海辺のカフカ』を思い出した。主人公の少年が、行くあてもなく、図書館の静けさの中にこもり、本の世界に深く潜っていく。あの姿が。あの頃の私に重なる。本は、現実から身を守るためのシェルターだ。だから、矛盾しているようだけれど、シェルターの外の現実を突きつけてくるかもしれない言葉は、たとえそれがあたたかい物語の形をしていても、読むことができなかった。
でも、今は。「あのこと」を経て、ロマコメ号でたくさんの人の「声」を聞いてきた、今なら。この、緑の表紙の奥にある言葉たちも、一文字ずつ、ちゃんと読める気がする。しんどい現実の中にも、守るべき日常と、続いていく物語があることを、いまの私は、少しだけ学んだから。
「お待たせしましたー! カップ、ばらばらですけど」
美桜さんが、「えへへ」という顔で、形の違うマグカップを両手に持って、台所から戻ってきた。その屈託のない笑顔が、なんだかとても、あたたかかった。
これは、日記という名を借りた私の記憶。
![[公式]千早亭小倉の世界 | ここあん村案内所](https://atelier-cocoan.com/wp-content/uploads/2026/01/tops2.jpg)
