移動図書館日記(60)

これは、日記という名を借りた私の記憶。

某月某日

ボランティア団体の方を連れて、仮設団地の自治会長さんたちとの話し合いの場へお邪魔した。団体の方を会長さんに紹介し、あとは、ロマコメ号の運行スケジュールを調整すれば終わりのはずだった。

「東北の震災のとき、高台移転の話があったでしょう。ここも同じだ」

会長さんの言葉は、その重さと裏腹に、私の手帳に引かれた罫線を、いとも簡単に踏み越えていった。家さえ再建できれば、復興住宅に入れば、それで「解決」という判子が押せるわけじゃない。その先にある、日々の暮らし。生活費だけでなく、建築費が重くのしかかる人もいる。ここあん村の雇用の少なさ、賃金の現実。私の頭の中にある『NDC 360(社会)』の棚にある「復興支援」という背表紙が、現実の重みを前にして、ペラペラの紙切れのように頼りなく思えた。

「支援は要らないんだよ」

その一言に、私の心臓が少しだけ跳ねた。仮設団地にお邪魔するとき、私たちには支援をしているという気持ちが常にある。その前提が覆されることへの、反射的な戸惑い。

会長さんは続けてこう言った。

「自分で稼いで、子どもや孫を自分の手でテーマパークに連れてってやりたいのさ」

――自分の手で。

その瞬間、ロアルド・ダールの『チョコレート工場の秘密』が、ふわりと頭をかすめた。貧しい家のジョーおじいちゃんが、なけなしのヘソクリをチャーリーに渡して、チョコレートを買わせようとしたあの場面。あれは、単なる運試しなんかじゃなかった。家族に夢を見せてあげたいという、切実で、誇り高い「意地」だったんだ。

私たちの無意識の、そしてあまりに傲慢な一方通行の矢印。でも、目の前にいる会長さんは、支援を待つだけの人ではなかった。孫の手を引いて、テーマパークのゲートをくぐる日を夢見て、泥臭く働こうとする、現役の「お父さん」であり「おじいちゃん」だった。

帰り道、ハンドルを握りながら、会長さんの力強くて、温かい響きの言葉、そして分厚くて節くれだった手を思い出した。あの手には、入場チケットがよく似合うはずだ。

これは、日記という名を借りた私の記憶。

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。
*The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
*無断転載禁止 Copyright © 2025 千早亭小倉|話紡庵レーベル All Rights Reserved.

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。
*The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
*無断転載禁止 Copyright © 2025 千早亭小倉|話紡庵レーベル All Rights Reserved.

BMサブカテゴリー
higashiboctokをフォローする
タイトルとURLをコピーしました