これは、日記という名を借りた私の記憶。
某月某日
ボランティア団体の方を連れて、仮設団地の自治会長さんたちとの話し合いの場へお邪魔した。団体の方を会長さんに紹介し、あとは、ロマコメ号の運行スケジュールを調整すれば終わりのはずだった。
「東北の震災のとき、高台移転の話があったでしょう。ここも同じだ」
会長さんの言葉は、その重さと裏腹に、私の手帳に引かれた罫線を、いとも簡単に踏み越えていった。家さえ再建できれば、復興住宅に入れば、それで「解決」という判子が押せるわけじゃない。その先にある、日々の暮らし。生活費だけでなく、建築費が重くのしかかる人もいる。ここあん村の雇用の少なさ、賃金の現実。私の頭の中にある『NDC 360(社会)』の棚にある「復興支援」という背表紙が、現実の重みを前にして、ペラペラの紙切れのように頼りなく思えた。
「支援は要らないんだよ」
その一言に、私の心臓が少しだけ跳ねた。仮設団地にお邪魔するとき、私たちには支援をしているという気持ちが常にある。その前提が覆されることへの、反射的な戸惑い。
会長さんは続けてこう言った。
「自分で稼いで、子どもや孫を自分の手でテーマパークに連れてってやりたいのさ」
――自分の手で。
その瞬間、ロアルド・ダールの『チョコレート工場の秘密』が、ふわりと頭をかすめた。貧しい家のジョーおじいちゃんが、なけなしのヘソクリをチャーリーに渡して、チョコレートを買わせようとしたあの場面。あれは、単なる運試しなんかじゃなかった。家族に夢を見せてあげたいという、切実で、誇り高い「意地」だったんだ。
私たちの無意識の、そしてあまりに傲慢な一方通行の矢印。でも、目の前にいる会長さんは、支援を待つだけの人ではなかった。孫の手を引いて、テーマパークのゲートをくぐる日を夢見て、泥臭く働こうとする、現役の「お父さん」であり「おじいちゃん」だった。
帰り道、ハンドルを握りながら、会長さんの力強くて、温かい響きの言葉、そして分厚くて節くれだった手を思い出した。あの手には、入場チケットがよく似合うはずだ。
これは、日記という名を借りた私の記憶。
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