移動図書館日記(61)

これは、日記という名を借りた私の記憶。

某月某日

カウンターに積まれた、埃っぽい背表紙の山。『ここあん村史』『商店街の歩み』……。先日、私が高島副館長にお願いをし、中野楓子さんに貸し出した「禁帯出」の資料たちが、無事に帰ってきた。私たち図書館が、館内での閲覧をいまだ再開できずにいることから、特例の措置となった。

「ありがとうございました! おかげで、いい絵が撮れそうです」

楓子さんは、ここあん村の記憶を映像に残したいそうだ。彼女の、春の嵐みたいな勢いは相変わらずだ。私の整えた静寂が、心地よく乱される。

そしてこの日、楓子さんの後ろにはもうひとり。楓子さんとは対照的な、凪いだ水面のような静けさをまとった女性が立っていた。

「母です。岩手の遠野から、久しぶりにこっちに来てて」

楓子さんの紹介に、女性――中野文さんが、軽く会釈をする。彼女が放つ空気には、遠野という地名が持つ古風な物語の枠とは違う、もっと乾いていて、それでいて芯のある、現代の「個」の気配があった。

「娘が無理を言ったそうで。すみません」

文さんの視線が、私の名札の「移動図書館担当」という文字で止まった。

「移動図書館……」

その呟きは、単なる気づきのトーンではなかった。楓子さんが横から口を挟む。

「お母さんもね、あのとき、東北でやってたんだよ。ボランティアで」

私の背筋が、反射的に伸びる。あの地を襲った大きな災害。私たちがここあん村で「あのこと」に直面し、ロマコメ号を走らせるよりずっと前に、過酷な無秩序の中で、この人は本を届けていた……。

文さんは、多くを語らなかった。「大変でしょう」とも「頑張って」とも言わなかった。ただ、カウンター越しに私を見て、少しだけ目を細めた。ハンドルを握る手の冷たさ。避難所の匂い。本を手渡す瞬間の、あの救われるような、頼りないような手触り。言葉にしなくても、同じ重さを知っている人だけが持つ、静かな共振。

「……気をつけてね。本も、あなたも」

帰り際、文さんが残した言葉は、それだけだった。楓子さんと文さんは、親子というよりは、たまたま同じ方角へ歩く旅人同士のような不思議な距離感で、図書館から出て行った。

私の知らない場所で、本を運び、物語を繋いできた「先輩」。彼女が遠野の山々から運んできた空気は、閉め切った図書館の澱んだ空気を、一瞬で入れ替えてしまったみたいだ。手元の返却本の山を崩しながら、ふと、自分の指先を見る。私のこの手も、いつかあんなふうに、誰かの記憶に残る温度を持てるだろうか。東北の道を走っていた、名前も知らない移動図書館車のエンジン音が、遠くから聞こえたような気がした。

これは、日記という名を借りた私の記憶。

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。
*The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
*無断転載禁止 Copyright © 2025 千早亭小倉|話紡庵レーベル All Rights Reserved.

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