移動図書館日記(64)

これは、日記という名を借りた私の記憶。

某月某日

東風地区の仮設団地。集会所の長机の上に置かれた、全五巻の時代小説の最終巻。背表紙が、何人もの借り手に引き継がれる間に白く毛羽立ち、飴色に艶めいている。

「やっと終わったよ、ちなっちゃん」

この巻を返却に移動図書館の受付を訪れた男性が、分厚い眼鏡の奥で目を細める。

「私は、映画もテレビも見ないんだ。テレビってのは、一度始まったら止まらんからな。トイレに行きたくても、考え込みたくても、勝手に進んでいっちまう。でも本ならな、ほら」

――止まらない時間。 私の脳内で、カードが音もなくめくられる。

『NDC 007(情報理論)』

『メディア特性:同期/非同期』

違う。そんな分類の話ではない。 彼の言葉が、私の心の防衛線を微かに震わせる。

――あのこと。

あの日、あらゆるものが、私たちの意志とは無関係に、濁流のように押し寄せ、通り過ぎていった。テレビの画面は、そんな止められない奔流の縮図かもしれない。

「え、でもテレビだって、録画したら止められますよ?」

同僚の鈴木美桜さんが、いつもの調子でっけろりと言う。その屈託のなさに、張り詰めた空気がパンと弾ける。合理的で、正しい反論。男性も「まあ、そう言われりゃそうだが」と苦笑いをする。

けれど、私の喉の奥には、「そうじゃない」という言葉がひっかかっていた。

その時、書架の整理をしていた真木まき先輩が、ふわりと顔を上げて言った。

「本は、好きなところで止まって、好きなだけ休める。本を閉じるのは、読み手が『息継ぎ』をするためだもの。物語は、人に合わせて待っていてくれるから」

――息継ぎ。

集会所の空気が、その一言で凪いだ。男性が、深く頷く。ミヒャエル・エンデの『モモ』に出てくる、時間の花を思い出した。機械的に管理された時間ではなく、人の心臓の鼓動に合わせて開く花。

美桜さんが「なるほどー、深い!」と笑い、男性もつられて相好を崩す。私の守ろうとしていた秩序よりも、もっと柔らかくて、人間的な時間がそこには流れていた。

時代小説の最終巻。男性が、その本を一度開いて、パタンと閉じた。もう一度、それを繰り返す。パタン。それは、物語を中断する音ではなく、物語と現実の世界をゆっくり行き来する、優しい合図だった。

これは、日記という名を借りた私の記憶。

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。
*The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
*無断転載禁止 Copyright © 2025 千早亭小倉|話紡庵レーベル All Rights Reserved.

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