これは、日記という名を借りた私の記憶。
某月某日
「いまごろ、何しに来たんだぁ?」
そんな言葉を投げつけられる覚悟で、私は新しい地区へ向かった。他のエリアよりずっと遅れてしまった、空白の巡回ルート。
けれど、私の強張った心を解いたのは、地区代表の男性のだみ声だった。
「タナカさん、遠慮すんなって! 一冊なんて言わずに、五冊借りてきなよ!」
彼は、受付の前の丸椅子にどかっと座り、本を一冊だけ大切そうに抱えて近づいてきた女性に声をかけた。
「あんた、楽しみにしてたじゃないか。ずっと待ってたんだろ、図書館来るの?」
その乱暴な優しさが、図書館と住民の間にあった見えない壁を、いとも簡単に壊していく。タナカさんと呼ばれた女性は、少しはにかむように笑って、本を胸に抱いた。
「……あのことで、家中の本を全部だめにしてしまってね」
初対面の私にも、タナカさんは声を聞かせてくれた。
レイ・ブラッドベリの『華氏451度』を思い出す。本が焼かれる世界で、人々は自らが本となり、記憶を繋ごうとした。彼女の空白の期間を埋めていたのも、「また読みたい」という、消えない記憶の熱だったのかもしれない。
代表の男性の「借りてきな」という声は、ただの勧誘じゃない。空っぽになった彼女の書棚に彩りを取り戻す「通行証」だったのだ。
これは、日記という名を借りた私の記憶。
![[公式]千早亭小倉の世界 | ここあん村案内所](https://atelier-cocoan.com/wp-content/uploads/2026/01/tops2.jpg)
