移動図書館日記(69)

これは、日記という名を借りた私の記憶。

某月某日

図書館の再開は、また延期になった。かつて閲覧席だった場所を埋め尽くす支援物資の段ボール箱たちは、まだしばらくあそこから動かないらしい。

その代わり、地下駐車場に新しい仲間が増えた。ロマコメ号よりふた回りほど小さい、白いバン。人員は増えないのに、管理すべき車両台帳の数字だけが「1」から「2」へと書き換わる。非効率。脳内の業務フローが一瞬赤い警告灯を点滅させたが、すぐに消した。

今日は、その「名無し君」の初陣だった。行き先はボストー区で一番大きな仮設団地。ロマコメ号と二台体制で乗り込むと、ちょっとしたパレードのようだ。

マイクロバスを改造した新しい図書館車は、靴のまま中に入れるウォークスルー型。雨風をしのげる「動く書斎」。初々しいというより、どこか誇らし気に感じる。対して、ロマコメ号は、側面のハッチが翼のように跳ね上がる小ぶりなタイプ。外から棚の背表紙を眺めるだけの、いわば「屋台」だ。

設営を終えると、さっそく常連のおかあさんたちが集まってきた。

「あら、今日は二台かい? 豪華だねえ」

「ちなっちゃん、こっちは中に入れるんだね?」

新しい貸出カードを作りながら聞いてみた。

「どっちがいいですか? やっぱり、中に入れるほうが落ち着きます?」

私は、空調まである新車に軍配が上がると予測した。けれど、杖をついたおかあさんはロマコメ号のハッチの下、風に吹かれながらこう言った。

「私は、こっちの小さいほうがいいね」

意外な答えに、バーコードリーダーを持つ手が止まる。おかあさんは、「名無し君」の入り口にあるステップと、その奥に広がる書架のトンネルをじっと見つめて言った。

「大きいほうはさ、混んできたら、息苦しそうだもの」

――息苦しい。

視界が一瞬、灰色に染まった。あの日の体育館。あるいは、避難所になった図書館の床。隣の人との隙間は数センチ。毛布一枚の境界線。他人の吐息、汗の匂い、埃っぽい空気。逃げ場のない「箱」の中の記憶。

ウクライナ民話の絵本『てぶくろ』が頭をよぎる。おじいさんが落とした手袋の中に、動物たちが次々と入り込んでいく。最初は暖かそうだが、最後には今にもはち切れそうに膨れ上がって……。物語の中では「無理やり入りました」で済むけれど、現実の「箱」には、耐えられる容量がある。

外界から守られた安全なシェルターも、おかあさんには、一度入ったら簡単には出られない、あの日の「詰め込まれた場所」を想い出させるものだったのかもしれない。

「こっちなら、すぐ空が見える」

おかあさんはそう言って、ハッチの外に広がる、少し雲の多いボストー区の空を見上げた。私は、ただ「そうですね」と頷いた。

撤収の時間。 新しい図書館車のドアが重たい排気音を立てて閉まる。続いて、ロマコメ号のハッチを下ろす。乾いた金属音が、風に流されて消えた。

これは、日記という名を借りた私の記憶。

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。
*The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
*無断転載禁止 Copyright © 2025 千早亭小倉|話紡庵レーベル All Rights Reserved.

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