移動図書館日記(71)

これは、日記という名を借りた私の記憶。

某月某日

撤収までのカウントダウンが始まる、午後四時五十五分。影が長く伸びて、ロマコメ号の白い車体を淡いオレンジ色に染める頃。片付けの手を休めてふと顔を上げると、少し離れた道を、使い込まれた作業着に麦わら帽子を被った男性が通りかかった。

「おとうさん、もしよかったら温かいお茶、一杯飲んでいきませんか」

男性は、「本は読まないよ」と照れくさそうに笑いながら、誘いに乗ってオーニングの下の椅子に腰を下ろしてくれた。紙コップから立ち上る湯気を眺めながら、おとうさんのポツリポツリとした独白が始まった。

「本を読む時間なんて、今までなかったからなあ。百姓ってのは、朝から晩まで草むしりだよ。抜いても抜いても生えてくるあいつらと、ずっと格闘してきたんだ」

そう言って見せてくれたおとうさんの手は、節くれだって、爪の間に黒い土が染み込んでいた。それはどんな精巧な木版画よりも雄弁に、この土地で生きてきた時間を語っているように見えた。農閑期には遠くの工事現場へ出稼ぎに行ったこと、冬の冷たい空気の中で握ったハンドルの感触。そして、話は最近、都内のマンションへ引っ越した息子さんのことへと移っていった。

「たまに遊びに行くんだが、あそこは狭くていけないね。箱の中に詰め込まれているみたいで、息が詰まるんだ。ここの空とは、広さがぜんぜん違うからなあ」

息子さんの住まいの狭さを語るおとうさんの口調は、寂しさと、それでも新しい生活を営む息子さんへの、もどかしさまじりの愛情が伝わってくるものだった。私はいつの間にか、時計を見るのを忘れていた。ガストン・バシュラールの『空間の詩学』に出てくる、家が持つ「魂の保護」という一節をふと思い出したが、今はそれを口にする必要はない。おとうさんの語る言葉そのものが、この村の厚みのある物語そのものだったから。

気づけば予定の撤収時間をとうに過ぎていた。おとうさんは「長居しちまったな、ありがとよ」と立ち上がり、またゆっくりと歩き去っていった。私の引いた完璧な運行計画ダイヤは、今日、心地よい「みちくさ」によって鮮やかに書き換えられた。けれど、心の中には、美味しいお茶の余韻のような、静かな充足感が広がっていた。

これは、日記という名を借りた私の記憶。

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。
*The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
*無断転載禁止 Copyright © 2025 千早亭小倉|話紡庵レーベル All Rights Reserved.

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