これは、日記という名を借りた私の記憶。
某月某日
冬の湿った空気が、ロマコメ号の白いボディを薄く覆っている。午前十時、東風公園の入り口に車を停めた。ドライバーのHさんがサイドブレーキを引くカチカチという音よりも早く、馴染みのある笑い声が耳に届く。
おばあちゃんたちが三人、日向の縁石に並んで座っている。厚手のカーディガンを重ね着して、縮こまった背中を冬の低い光に預けている。どこかへ行くついででも、買い物のついででもない。ただ、この車が来る時間を、彼女たちの生活のリズムの中で逆算して、待っていてくれたのだと思う。
「ちなっちゃーん、遅い、遅い」
一人が立ち上がり、右手の重みを左膝に預けながら、ゆっくりと近づいてきた。指先は冷えて少し赤くなっていて、爪の間にさっきまで庭をいじっていたのか、乾いた土が薄く残っている。その手が私の差し出した消毒液のボトルに触れ、冷たい液体の感触に少しだけ肩をすくめた。
ハッチを開くと、狭い場所に押し込められていたような本の匂いが、外の湿った空気とぶつかって攪拌される。彼女たちはすっかり慣れた様子で棚の本を目で追っていく。一人が選んだのは、北欧の刺繍の図案集。もう一人は、古い暮らしの知恵を編んだエッセイ。背表紙をなぞる指の動きは、川の水の温度を確かめるように慎重で、けれどとても穏やかだ。
「あのこと」の直後、私たちは次に何をすべきか、誰に指示を仰げばいいか、そればかりを考えていた。呼吸をすることさえ、正しい手順が必要な気がして。けれど、今は違う。オーニングの下、魔法瓶のカチッという蓋の開く音と共に、ほうじ茶の香ばしい匂いが漂う。
「この前のカボチャ、煮ても全然柔らかくならなくてねえ」
「あら、それはお水が足りなかったんじゃないの?」
そんな会話を横耳で聞きながら、私は返却された本の角を指先で整える。ページには、小さなクッキーの屑が挟まっていたり、隅がわずかに折れていたりする。それは、この本が誰かの生活の、指先の届く場所に確かに存在していたという証拠だ。
ふと、石井桃子さんの『ノンちゃん雲に乗る』を思い出した。雲の上の世界は、現実とは違う静かなルールで動いているけれど、そこから見える地上の景色は、いつだって懐かしくて、少しだけ心細い。ロマコメ号も、この村の中では、そんな小さな雲のような場所なのかもしれない。
借りていく本を選び出し、のんびりと話を終えた彼女たちが、本を胸に抱えて帰っていく。アスファルトの上を、靴のゴム底が小さく擦れる音が重なる。その背中が角を曲がって見えなくなるまで、私はただ、冷たくなった手をエプロンのポケットに入れて見送っていた。
特別なことは何もない。ただ、本を選んで、少しだけ話をして、帰る。その当たり前の動作が、今の私には、何よりも確かな地層のように、この土地に重なっていくのを感じている。
これは、日記という名を借りた私の記憶。
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