これは、日記という名を借りた私の記憶。
某月某日
スーパーの冷気は、図書館の書庫のものとは種類が違う。もっと生活につながってる感じがある。野菜売り場の照明の下、私はきゅうりの山と向き合っていた。色が濃く、太さが均一で、表面のいぼが痛いくらいに尖っているもの。それを選び出す作業は、私は集中していた。頭の中では、すでに分類が始まっている。
『産地:県内』『鮮度:A』『用途:サラダ』。
あるいは浅漬けもいいか。
「ちなっちゃん、アタック!」
ただ、その思考は、腰への物理的な衝撃で思い切り破られた。よろめいて振り返ると、いつものやんちゃな笑顔。
――移動図書館の「常連」、ケンタくん。
「こら、お店の中で走らないの!」
追いかけてきたお母さんが、私を見て「あっ」と口元を押さえる。私は慌てて、無防備だった表情筋を引き締め、図書館司書としての「穏やかな笑顔」を貼り付けようとした。今日は休日。仕事とは違う、ただの菜箸千夏として紛れ込んでいたはずなのに。
「すみません、お休みですよね」と恐縮するお母さんに、「いえいえ」と手を振る。
「よく分かりましたね。私、気配を消していたつもりだったんですけど」
冗談めかして言うと、お母さんは楽しそうに笑った。
「分かりますよ。千夏ちゃんは、千夏ちゃんですもの。それに、きゅうり一本選ぶその真剣な目、あの子に絵本を選んでくれる時の顔と、同じでしたよ」
少しずっこけるポーズを作りながら、お母さんの言葉に、手に持っていたきゅうりが、急に重さを増した気がした。オンとオフ。仕事と私生活。私はそれを、しっかり切り分けているつもりだった。けれど、彼女の目に、私が引いた境界線なんて見えるはずもなく。きゅうりも、本も、私の「選びたい」という点で、同じ熱が出ていたのかも。
ふと、五味太郎さんの絵本『きんぎょがにげた』を思い出した。金魚鉢から逃げ出したきんぎょは、カーテンの模様になったり、花になったりして隠れるけれど、最後には必ず子どもたちの指先に見つけられてしまう。今の私は、あのきんぎょだ。どんなに日常の風景に溶け込んだつもりでも、私という輪郭は、あたたかい眼差しによって簡単に見つけ出されてしまう。
「そのきゅうり、食べるの?」
ケンタくんが、私の手元を覗き込む。
「うん、一番強そうなやつを選んだよ」
私が答えると、彼は満足そうに笑って、お母さんの手を取り、お菓子売り場の方へ次の「アタック」に向かった。 私は、選び抜いた一本をカゴに入れた。境界線なんて、なくていいのかもしれない。どこにいても見つけてくれる人がいるなら、それは逃げ場がないのではなく、帰る場所があるということなのだから。
これは、日記という名を借りた私の記憶。
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