移動図書館日記(85)

これは、日記という名を借りた私の記憶。

某月某日

業務終了後、事務室の蛍光灯の下で、同僚の鈴木美桜さんが書いた運行簿をめくっていたときのことだ。彼女の少し丸っこい文字で書かれた備考欄の一行で、私の指が止まった。

「死にたいと思ったことがある」

ドキリとするような言葉の主は、いつも元気な小学生の男の子だという。美桜さんが理由を尋ねると、「ひいおばあちゃんが死んじゃったから」と答えたそうだ。

「死んだら、ばあちゃんに会えるでしょ」

その言葉は、私の背筋を冷たくさせるような「死」への衝動ではなかった。「会いたい」という、痛いくらいにまっすぐで、混じりけのない愛の言葉だった。

「これからは図書館のプロの出番ね」

そんなふうに、期待を込めて言われることが増えた。私の頭の中には、確かに「子供のグリーフケア」だとか「命の授業」といった分類項目がある。以前の私なら、すぐにその引き出しから「正解」の一冊を抜き出して、あの子に手渡すのが正義だと信じていただろう。それが、プロの仕事だと思っていたから。

でも。

ふと、スーザン・バーレイの『わすれられないおくりもの』を思い出す。アナグマが森の仲間たちに残したのは、立派な教えや教科書じゃなかった。ハサミの使い方、スケートの滑り方、手をつないだ温かさ。不器用で、なんの分類もできない、ただの時間の積み重ねばかりだ。

あの子に必要なのは、専門家による分析や、適切な図書の推薦なのだろうか。私は正解をもっていない。でも、「そっか、会いたいんだね」と、ただその気持ちを隣で頷いて聞いてくれる、近所のお姉さんのような存在も必要だと思う。

「あのこと」以来、私たちは「正しさ」よりも、ただそこにいるだけの「優しさ」が、時として人を支えることを知った。プロフェッショナルである前に、まず一人の「隣人」でありたい。

運行簿のそのページを、私はもう一度指でなぞる。暖房の効いた事務室で、冷蔵庫の低いモーター音だけが、やけに大きく響いていた。

これは、日記という名を借りた私の記憶。

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。
*The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
*無断転載禁止 Copyright © 2025 千早亭小倉|話紡庵レーベル All Rights Reserved.

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