これは、日記という名を借りた私の記憶。
朝、本館のカウンターで坂上さんが大きなポットの蓋をカチッと閉める音が響く。
「千夏さん、今日はこのお茶で温まってね」
立ち上る湯気と一緒に、坂上さんの庭で摘んだという草の香りが事務室に広がった。隣では児童担当の北条くんが、絵本のコンテナを軽々と運び出し、二階では芳野さんが古い地図のしわを一枚ずつ丁寧に伸ばしている。本館の一部再開から、私の役割は「全部ひとりで背負う人」から「みんなで物語を編み上げるチームのまとめ役」に、少しずつ綴じ直されている気がする。
ドライバーのUさんが、ロマコメ号のエンジンをかけた。
今日の訪問先は、新しく巡回ルートに加わった地区。平日の昼間は、週末の賑やかさとはまた違う、ひっそりとした生活の匂いが漂っている。畑仕事の合間なのか、忙しそうに背中を丸めて小走りで行く人が多い。
カウンターに立ち寄った、首にタオルを巻いた男性が、私の名札と車を交互に眺めてから言った。
「これ、どこから来たの。図書館だよね。どれくらいかかった?」
「本館からです。車でだいたい一時間くらい……ですかね」
私の言葉に、彼は驚いた表情を見せ、タオルの端を指先でいじった。
「一時間。この村も広いからなあ。でもさ、それだけ離れていても、そこにいるみたいに近く感じられる相手もいれば、隣に住んでいても、何を考えているのか、全然わからない人もいるからね。結局、遠い近いなんて、長い短いとは違うのかもね。アレの前はさ、いまの若い人はだめだ、これからの日本はどうなるんだろうと思っていたけれど、そんなことはなかったね」
彼の言葉が、春の冷たい風に混じって私の喉を通り、お腹の底をゆっくり温める。
私は、返却された本の表紙についた小さな砂の粒を、そっと指の腹で払った。一時間という時間は、地図の上ではただの線に過ぎないけれど、こうして誰かの「待っていた」という気持ちに応えるために必要な余白なんだと思う。
星野道夫さんの『旅をする木』という本を思い出す。アラスカの森で倒れた木が目に浮かぶ。木は、長い時間をかけて海を渡り、誰かの家を暖める薪になる。その旅路のどこかで、必ず誰かの命と繋がっている。
本館の窓から見える静かな景色も素敵だけれど、ロマコメ号で出会うこういう予測不能な言葉こそが、今の私の背表紙を支える芯になっている。
撤収の時間。コンテナを閉める金物の音がパチンと響く。
Uさんの運転で戻る道、窓ガラスに映る夕暮れのオレンジ色を眺めながら、坂上さんが持たせてくれたほうじ茶の最後の一口を飲み干した。喉がじんわりと熱を帯びる。
これは、日記という名を借りた私の記憶。
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