移動図書館日記(99)

これは、日記という名を借りた私の記憶。

閉館後の静まり返った事務室。副館長の真木まきさんのデスク脇に立つと、窓の外から遠く、電車の走る音が聞こえた。ふたりして、その音に注意が向く。

真木さんは椅子に腰掛け直し、ボールペンの軸で、のんびりと自分のあごをつついた。デスクの上には、飲みかけのマグカップがひとつだけ置かれている。帰る準備万端といったところだ。

真木さんに、訪問先であったおかあさんとの、鉄道や村の復興の話をする。事務報告にもなっていない、とりとめのなさ。

「そうねえ、ここあん鉄道、つながってよかったわよね」

真木さんが、思い出したように言葉を続ける。

「ほら、電車が通じているかいないかって、やっぱり大きいわよ。千夏さんは、代行バスのとき、どうだった?」

私は、指先で、用もなく持っていたクリップをいじりながら、そのときのことを振り返る。

「乗り継ぎは、スムーズでしたよね。三丁目駅までしか電車がつながってなくて、でも、電車を降りて、改札を出ると、バスが待っていてくれて。けれど、何かが違ったというか」

言葉が喉の奥で一度止まる。

代行バスのステップに足をかけるとき、私はいつも運転手さんに「よろしくお願いします」と頭を下げていた。そのやり取り自体は、嫌いではなかった。人の体温が通う、丁寧な時間だったと思う。けれど、バスの座席に座り、アスファルトの道を揺られている間、私の意識のどこかが、分類しきれない違和感を拾い上げ続けていた。

バスが走るのは、本来なら電車が走るべき場所の「代わり」だ。窓の外の景色が流れるたびに、「今はまだ、線路が途切れているのだ」という事実を、無意識のうちに指でなぞってしまう。それは、読みかけの本の間に、ずっと同じ場所で栞を挟み続けているような、停滞した感覚に似ていた。バスに乗るという日常の動作そのものが、「まだ元通りではない」という欠落を、私に突きつけていたのだと思う。

「無意識の意識みたいなものかしらね。繋がっていないことを、毎日確認しちゃうのよね」

真木さんが、ボールペンを置いて、少しだけ首を傾げて私を見る。その声は、静かに私を肯定してくれた。

ふと、夏目漱石の『三四郎』の一節を思い出す。主人公が広田先生と出会う、あの汽車の場面。そこには、どこかへ運ばれていくという期待と、見知らぬ世界への不安が同居していた。私たちの鉄道は、文明の進歩を誇るためのものではなく、止まってしまった時間をもう一度動かすための、細いけれど確かな糸だった。

バスを降りて、もう一度頭を下げる。それは感謝であると同時に、断絶を受け入れるための踏み絵でもあった。いま、駅のホームで響く鉄と鉄が噛み合う規則正しい音を聞くと、ようやくその重い枷から解放されたのだと感じる。

明日もまた、ロマコメ号を走らせる。つながった道の先にある、誰かの何気ない一日を、静かに綴じていこう。

これは、日記という名を借りた私の記憶。

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。
*The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
*無断転載禁止 Copyright © 2025 千早亭小倉|話紡庵レーベル All Rights Reserved.

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