移動図書館日記(102)遠野編

これは、日記の名を借りた、中野文の記憶。

三月の遠野は、カレンダーの数字ほどには春を感じさせない。雪解けが進むにつれて、庭の土は泥濘ぬかるみとなり、湿った土と古い雪が混じり合った、この地特有の重たい匂いが鼻をくすぐる。

ここあん村の図書館から、菜箸千夏さんが訪ねてくるという。娘の楓子からその名を聞いた瞬間、私の心の中にある、もうずっと鍵をかけていた「引き出し」が、カタカタと静かな音を立てた。千夏さんとは、楓子を通じて一度か二度、図書館で顔を合わせたことがある。端正で、どこか自分を厳しく律しているような佇まい。彼女がこちらへ来ると知ってから、私は無意識に、あの東日本を襲った震災の後の、熱に浮かされたような日々を思い出している。

あのころ、最も輝いていた言葉は「絆」だった。けれど、私がボランティアとして、会議室や集会所の隅で聞いたのは「連携」や「情報共有」という、乾いた、けれど重たい響きの言葉だった。

小さな努力を積み重ね、点のような支援を繋いで線にし、それを面の広がりに変えていく。気を遣って、気を遣って。急いで、急いで。言葉で言うのは易しいけれど、現実はもっと泥臭く、もどかしかった。少しの失敗も許されない、そう思っていた。

ようやく「面」が見えてきたと思った矢先に、また別の会議で「そもそもはですね……」と、振り出しに戻されるような絶望感。あの停滞の中で、私はただ、自分が「前に向かっている」と信じ込むことで、自分自身の精神を繋ぎ止めていたのだと思う。

息を口から静かに吐き出す。吐き出した分だけの空気が、鼻から静かに入ってくる。

私はあの時、まだ五歳だった楓子を母のあやねに押し付けるように、使命感という大義名分を握りしめて東北に通い詰めた。自分が「部外者よそもの」であることを片時も忘れられず、相手を傷つけることを病的に恐れながら、笑顔の仮面を被って「連携」という時に温い水に浸かっていたのだ。

いま、遠野の冷たい空気の中で、かつて私が置いてきたここあん村の「現在」を背負った菜箸千夏さんがやってくる。彼女が守り続けている「秩序」は、あの日の私が必死に追い求めていたものなのだろうか。

窓の外、遠野のどんよりとした低い空は、今日も無口だ。開きかけた心の「引き出し」を、覗き込めずに立ちすくんでいる私がいる。

これは、日記の名を借りた、中野文の記憶。

中野文

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。
*The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
*無断転載禁止 Copyright © 2025 千早亭小倉|話紡庵レーベル All Rights Reserved.

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菜箸千夏「移動図書館日記」
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