【登場人物】
聖 林太郎:自主映画サークル「アーヌエヌエ」元幹事長。映画監督志望の大学院生。
岸辺 義道:同サークルメンバー。撮影監督志望。林太郎の後輩。

【場面】
夕暮れの大学構内。時代物のような古い飲料自動販売機の前。林太郎は、自身のシャツの裾を両手で持ち上げ、前掛けのようにして何かを抱え込んでいる。そこへ義道がやってくる。
林太郎:おい、見ろよ義道。900円ある。
義道:きゅ、900円。(林太郎の手元と膨らんだシャツの裾を交互に見る)え、もしかして全部十円玉ですか。それ使うんですか、それとも出てきたんですか。
林太郎:釣り銭だよ。千円札を入れて百円の缶コーヒーを買ったらこれだ。取り出し口を詰まらせずに、全てこのシャツの裾で受け止めた俺の反射神経をほめてくれ。
義道:ほめるのはいいですけど、最悪ですね。全部十円玉なんて。同じ額でもひどく損した気がする。それにしても、ほんとにそんな自販機があるのか。(しゃがんで自販機の取り出し口を見て、ぶつぶつ言っている)
林太郎:損。いや、おれはどっちかって言うと好きだよ。百円玉が九枚出てくるより、ずっといい。
義道:本気で言ってるんですか。今どき現金っていうだけで面倒なのに、財布がまともに閉まらなくなりますよ。
林太郎:百円玉なんて、どれも同じ顔をしていて味気ないだろ。そこには何のドラマもない。
義道:ドラマですか。自販機に昭和の情緒を求めても仕方ないでしょう。
林太郎:義道よ、この十円玉の山を見てみろ。一枚一枚、錆び方も傷の付き方も違う。
義道:ああ、顔ってそういうことですか。それなら、百円玉だって傷くらいありますよ。
林太郎:いや、百円玉と十円玉では、顔が全然違う。十円玉には、昭和、平成、色んな時代を渡り歩いてきた、こう何というか「苦労」が顔に出ている。九十通りの泥臭い人生が、今、俺の腹の前に集まっているんだよ。
義道:僕には、ただの不便な銅の塊にしか見えませんけど。
林太郎:心がないな。このジャラジャラという音は、俺とこいつらの運命共同体の叫び声だ。(シャツの裾を少し揺する。数枚の十円玉が地面に落ちて転がる)あっ。
義道:ちょっと気持ち悪いこと言うから落ちるんですよ。
林太郎:うん、言い過ぎた。
義道:その運命の重みのせいで、先輩のシャツの裾が伸びきりませんように。
林太郎:いいさ、それならそれで。その時は、地面に散らばった90枚の銅色を、お前のカメラで撮らせてやる。
義道:なんでそこに俺がいるんですか。お断りですよ。一枚一枚、ほんとに顔が違うなら、露出を合わせるのも面倒だし。
林太郎:冷たい奴。ほら、手を出せよ。一、二、三。よし、十五枚やる。(手がふさがっているので、適当に義道の手に流し込む)これで何か飲めよ。
義道:残りの七十五枚、どうするんですか。
林太郎:そりゃ、あれだ。発行年順にまずは並べてみるよ。
(幕)
作・千早亭小倉
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