登場人物:丹波りん、生地こね子
丹波りん(35・パティシエ)は、透明なボールペンの替え芯を光に透かし、インクが途絶えた境界線をプラスチックの筒越しになぞっていた。指の腹に伝わるのはインクの感触ではなく、中身が空洞になった筒の、頼りない軽さと冷たさだ。 生地こね子(35・パン職人)は、りんの手元を、パン生地にクープを入れる直前のような鋭い眼差しで凝視している。
「この、管の壁にこびりついた最後の一滴にも満たない『汚れ』に、明日の仕入れメモを書かせるのは傲慢だと思うの」
りんの声は、冷えたステンレスの作業台のように平坦だった。
「同感だわ。それは執筆ではなく、ペンに対する『死体損壊』に近い行為よ」
こね子は、自分のエプロンに付着した微かな粉を、払い落とさずに指先で静かに丸めた。
「インクが切れたのではない。ペンが『もう何も語りたくない』と沈黙を選択したのなら、私たちはその意思を尊重すべきだわ」
「でも、温めればあと一行くらいは、断末魔のような掠れた線が書けるかもしれない」
りんは替え芯を机に置いた。円筒形の樹脂が、乾いた音を立てて数センチだけ転がる。
「その一行のために、彼の尊厳をドロドロにする必要はないわ。これはもう、書く道具ではなく、インクだったものの『化石』なのよ」
二人は、役目を終えた透明な筒を、ただの動かない物質として見守り続けた。窓の外でカラスが鳴いたが、二人の膠着した議論が妥協点を見出す気配はなかった。
作・千早亭小倉
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