移動図書館日記(22)

これは、日記という名を借りた私の記憶。

某月某日

昨日のロマコメ号の運行日誌には、「特記事項:ボランティアによる飲料提供あり。利用者との対話促進に寄与」とだけ、乾いた文字で記した。けれど、私の記憶に刻まれたのは、そんな事務的な報告書には収まりきらない、鮮やかな光景だった。

ボストー区の復興住宅前。定期的に手伝ってくれるボランティアさんが、その日は和装に真っ白な割烹着という姿で現れた。事前に連絡は受けていたけれど、イレギュラーの事態に、私の思考が一瞬停止した。

彼女は「カフェ割烹、開店ですよー」などとおどけて笑いながら、魔法瓶から温かいお茶を利用者さんたちに配り始めた。私たちのロマコメ号でも、コーヒーやジュースをお出しすることがある。アレ以降、ロマコメ号の運行が本の貸し出しだけではなく、利用者の方とのお話も重要な目的とするようになったからだ。

だが、この日のボランティアさんのそれは、いつもの私たちとは少し違った風景をつくっていた。集まってきたおばあちゃんの一人が「割烹着の白が、清潔でいいねえ」と呟いた。その一言で、場の空気がふわりと解けたのがわかった。私の作った、NDC(日本十進分類法)という静かな秩序の外側で、もっと温かくて、人間的な、別の秩序が生まれていく。

ロマコメ号に本を積むときのことに思いが飛ぶ。いろいろな人に読み継がれてきた、風合いのある本も悪くない。けれど、私はできるだけ、新しくてきれいな状態の本を選ぶようにしている。書架に並べた時、少しでも気持ちが明るくなるように。それは、私のささやかな、けれど譲れないこだわりだった。「きれいな本がいっぱい」「本屋さんみたい」と喜んでくれる声が、私の防衛線を支えてくれている。

松浦弥太郎さんのエッセイだったと思う。日々の暮らしを整えることの大切さ。それはただお洒落だとか、そういうことではない。自分や周りの人を大切に思う気持ちが、身だしなみや持ち物に表れるのだと。ボランティアさんの真っ白な割烹着も、私が選ぶ傷ひとつない本の背表紙も、根っこは同じなのかもしれない。混沌とした世界に対する、静かで、けれど確かな意思表示。

何もかもを等しく、汚し壊したアレ。だから私は無意識のうちに、汚れのない、傷のないものを求めてしまう。完璧な白さ、完璧な直線。それだけが、あの巨大な無秩序(カオス)から、私を守ってくれる気がして。

(昔の私なら、業務用のエプロンから白い割烹着に着替えて、ボランティアさんと一緒に「カフェ割烹」を開店したかもしれない……)

今の私は、カウンターの内側から、その温かい光景をただ眺め、分析し、分類しようとしている。この感情は、どの書棚に収めればいいのだろう。日誌の片隅に、私にしかわからない記号で、こう書き足しておく。

――割烹着の、白。

これは、日記という名を借りた私の記憶。

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。
*The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
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