移動図書館日記(36)

これは、日記という名を借りた私の記憶。

某月某日

ロマコメ号の書架を眺める、見慣れた影。その姿に、いつも少しだけ私の背筋が伸びる。活田地区で古書店を営む、古河佐助さん。アレのすぐ後からテント村で営業を再開され、今はもとの場所で、静かに店を開けていらっしゃる。この村の「時間」そのもののような人。彼の店に並ぶ古書が持つ、埃とインクの匂いが混じり合った静かな秩序を、私は密かに尊敬している。

佐助さんと、新興のきさらぎタウン に新しく書店ができるらしい、という話になる。私の頭の中の索引が、即座に『分類:NDC 368.7(書店)』『キーワード:新規出店、きさらぎタウン』とカードを弾き出す。

「まあ、ここあんの森を抜けて、池袋まで買いに行ってもいいんだけど」と前置きしつつ、佐助さんは、いつもの穏やかな顔でこう続けた。「街に本屋があるのは、やっぱりいいよね」

その言葉は、私の心の書棚の、予期していなかった場所に、すとんと収まった。古くからある佐助さんのお店(古書店・個人)と、新しいお店(新刊書店・おそらく資本系)、そして私たち(公共・移動式)。私の思考は、この三者の「役割分担」と「連携」の可能性について、業務日報の所見欄に書くような、乾いた分析を始めていた。

でも、佐助さんの言葉は、そんな分類とは違う次元にある、もっと温かいものだった。

ふと、ヘレーン・ハンフの『チャリング・クロス街84番地』を思い出した。ニューヨークの小さなアパートから、ロンドンのマークス書店へと、本を介して思いを馳せ続けた彼女。彼女にとって、その書店は、日常とまだ見ぬ豊かな世界とを繋いでくれる、確かな「扉」だったはずだ。

佐助さんの言葉も、きっとそういうことなのだろう。彼のお店は、アレで失われた物語を守り、未来へ手渡そうとする、かけがえのない「扉」。そして、きさらぎタウンにできるという新しい書店。あの計画的で、少し閉鎖的なニュータウンにも、新たな「扉」が置かれる。

佐助さんの穏やかな笑顔につられて、私も嬉しくなって、思わず口元が緩む。でも、「わあ、楽しみですね! 偵察行っちゃいますか?」なんて、はしゃいだ言葉は出てこない。ただ、この佐助さんの「扉」と、新しい「扉」、そしてこのロマコメ号という「走る扉」が、どうすれば人々の日常の、確かな「座標軸」 になれるだろうか。そんな、少しだけ堅苦しい、けれど大切な問いが胸に浮かぶだけだ。

佐助さんの言葉を、活動日誌の「定性的記録」 の欄に、そっと書き留めておこう。私の分類棚には、まだ収まりきらない、とても温かい宿題として。

これは、日記という名を借りた私の記憶。

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。
*The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
*無断転載禁止 Copyright © 2025 千早亭小倉|話紡庵レーベル All Rights Reserved.

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。
*The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
*無断転載禁止 Copyright © 2025 千早亭小倉|話紡庵レーベル All Rights Reserved.

BMサブカテゴリー
higashiboctokをフォローする
タイトルとURLをコピーしました