これは、日記という名を借りた私の記憶。
某月某日
今日は、新しい運行先の候補地を調べるために、普段あまり足を踏み入れない地区の集会所を訪ねた。私の仕事は、ロマコメ号が寸分の狂いもなく運行できるように、完璧な計画を立てること。そのための、現地の地理的条件、住民の動線、利用可能性の調査。すべては、私の頭の中にある分類棚に、正確なデータを収めるための作業だ。
運良く、集会所では住民の方と、地域の支援員さんたちがお茶を飲んでいて、私もその輪に加えていただくことができた。私の索引カードには、『分類:情報収集』『ステータス:良好』と印字される。
話が、今後この場所でどんなイベントを開くか、ということに移った時だった。ここあん村外のボランティアさんからイベントを提案されることも時々あるらしい。
「ここでやるって言っても、どの範囲まで声をかけるつもりかね」
「隣の棟までなのか、それとも、あそこの坂の上まで呼ぶのか。流儀ってもんがあるからね」
「外から来た人が、いきなり『みんなのため』なんて言っても、こっちは戸惑っちまうよ」
少しだけ辛口な、けれど切実な言葉たちだった。私の背筋が、無意識に少しだけ伸びる。
私の頭の中の地図では、ここは「ここあん村」という一つの単位だった。でも、彼女たちの言葉は、その地図の上には描かれていない、無数の「境界線」の存在を私に突きつけた。私が「住民」とひとくくりに分類しようとしていた人々は、もっと細かく、複雑な「集落」という意識の中で生きている。
私の計画書には、そんな項目はない。あのことは、あらゆる物理的な境界線を破壊し、巨大な無秩序を生み出した。だから私は、ロマコメ号という確かな「座標軸」を、公平に、平等に置くことだけを考えていた。
でも、それは私の場合だ。人々は、目には見えないけれど確かな「流儀」や「集落」という防衛線を、あの混沌から掘り返し、もう一度引き直していたのかもしれない。自分たちを自分たちで守るために。
ふと、柳田國男の『遠野物語』を思い出した。あの物語に描かれているのは、土地に深く根ざした、よそ者には計り知れない習わし、考え方、神様の領域。私たちは、良かれと思って、その見えない境界線の中に、土足で踏み入ってしまう危険性を孕んでいたんだ。あの少し辛口な言葉は、その土地の「流儀」を教えてくれる、何よりも貴重なレファレンス。
運行計画を立てることは、ただ地図と時間を計算することじゃない。この、分類不能な「空気」や「流儀」をどう感じ取り、私たちの活動を、その土地の秩序を乱さないように、そっと置かせてもらうか。そのための事前調査。
業務日報には、「地域特性に関するヒアリング実施。運行計画策定上の留意事項を確認」とでも書くしかない。けれど、私の心の書棚には、また一つ、行き場所の決まらない、重くて大切な一冊が差し込まれた。
これは、日記という名を借りた私の記憶。
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