これは、日記という名を借りた私の記憶。
某月某日
懐かしい看板がここあん村にまたひとつ戻ってきた。
私の頭の中の分類棚(NDC 368.7)は、ずっと空席だった。それが、今日、カタンと音を立てて、新しい一冊が差し込まれたような、そんな眩しい感覚。
図書館からもほど近い仮設商店街に、「大きい書店」さんがお店を再開。
「気持ちだけ大きいんだ、うちは」と、照れたように笑う店主の大木さん。その笑顔は、以前と何も変わっていないようだった。
古河佐助さんの古書店の再開も、きさらぎタウンに新しい書店が開店したときももちろんうれしかったけれど、「あのこと」の後、全てが更地になってしまったような中で、「昔からの本屋さんが戻ってきた」という日常の風景の心強さ。
お祝いに駆けつけた、というのに、私は手ぶらで……。完璧な手順から、完全に逸脱した失態。なのに、おかあさん(店主の奥さん)は、「まあ、ちなっちゃん。忙しいだろうに、ありがとうね」と笑って、帰り際には、逆にノベルティーだという文房具を、私の手にたくさん握らせてくれた。
店内は、ご家族や、取次の営業の方も応援に駆けつけて、まだダンボールが積み上がった混沌の中なのに、不思議なほど、あたたかい空気に満ちていた。
「雑誌だけじゃなくて、いろいろな本を置いていくよ」
そう言って、新刊本と文具に囲まれて嬉しそうにしているおかあさんの横顔。この場所にもう一度、物語という「座標軸」を立て直すのだという、静かで力強い宣言。私たちがロマコメ号でやっていることと、同じ。仲間が増えた実感。
ふと、ジョージ・オーウェルの『古書店勤務の思い出』の一節が頭をよぎった。彼が描いた、古本屋に集う、風変わりで、分類不能な人々。ここあん村の「大きい書店」さんも、きっとこれから、ここあん村のそういう、愛すべき人々が集う「居場所」になっていく。
もちろん、わかっている。この状況で、小規模な書店を経営していくことが、どれほど大変か。私の好きな「秩序」は、維持するだけでも、相当な覚悟を必要とするのだ。それでも、今日は、お祝いの言葉だけでいい気がした。
私たち図書館も、並走しなければ。業務日報には、事務的に「図書資料の定期購入を」とだけ書く。私にとってそれは、あのあたたかい秩序を守るための、大切な「防衛線」なのだ。
これは、日記という名を借りた私の記憶。
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