高度に発達した知性が支配する近未来の仮想空間から、冷たい雨の降る路地裏、そして子どもたちが風や雲とおしゃべりを交わすどこか懐かしい街角まで。本書『これは、祈りによく似た何か』は、多彩な設定とトーンで紡がれた、思索的で美しい掌編小説と現代の寓話をぎっしりと詰め込んだ短篇集です。
収録されている作品群に通底しているのは、「完璧さ」と「不完全さ」、「合理的な正しさ」と「割り切れない人間の体温」のあわいに生じる摩擦と、その先にあるかすかな希望です。
前半に多く見られるのは、AIや高度なテクノロジー、あるいはSNSによって均質化・効率化された世界を舞台にした寓話的なSFです。人知を超えた処理能力を持ちながら、相手を愛するためにあえて自らの知性を偽り、破滅の予見を胸に閉じ込めて孤独な嘘をつくAI。効率化と最適化を極めた無菌の都市で、傷や埃を「エラー」として排除するシステムに対し、手首を痛めながら歪んだ林檎を泥臭く描き続ける老画家。あるいは、理路整然とした正論や過剰なコンプライアンスの刃によって「魂の宿るノイズ」をことごとく去勢された世界で、完璧な模倣よりも落雷で壊れたスピーカーが吐き出す意味不明なノイズにこそ涙を流す人々の姿が描かれます。
そこには、現代の私たちが直面しているデジタル社会の息苦しさや、タイパや正しさに追われる日々の空虚さが、鋭いアイロニーと深い洞察をもって映し出されています。しかし著者の眼差しは、単なる文明批判やディストピアの提示にとどまりません。むしろ、システムから「バグ」として弾き出された知ったかぶりの大嘘や見え透いたおべっかが、孤独な夜を過ごす生身の人間の心をふっと救ってしまうような、人間らしい滑稽さと愛おしさをどこまでも肯定的にすくい上げていきます。
物語の筆致は、怜悧な知性を感じさせるビターな短編から、やがて詩情あふれる優しい童話の世界へと、グラデーションのように表情を変えていきます。
後半に収められた作品群では、曜日をめぐる子どもたちの小さな冒険や、目に見えない風、空飛ぶ魚の物語、不揃いな形をした林檎を囲む時間などが、透明感のある柔らかな言葉で綴られます。大人が勝手に持ち込む「たとえば」という大げさな危機感や正義の説教に振り回されず、「これは僕の、ただの欠けたビー玉だ」と言い切る少年の潔さ。完璧な理由や必然だけで動く町で透明人間になってしまった男が、同じように取り残された人々と出会い、かつて見下していた「傷の舐め合い」のような不揃いな温もりに救われていく姿。それらは、子どもの頃に読んだ絵本のような親しみやすさを持ちながら、大人になった読者の胸の奥深くにしまってある「名前のつかない寂しさ」をそっとノックしてきます。
知性や合理性がどれほど世界を覆い尽くそうとも、人間が生きていく上で本当に手放してはならないものは、誰かとぶつかってできた傷痕や、迷い、立ち止まり、無駄な時間を過ごしたという実感なのではないか。誰もが傷つかずに済む平滑なガラスの上を滑るような生き方ではなく、みっともなく足を取られ、手首を痛めながら引いた不格好な一本の線にこそ、生きている手触りが宿るのではないか。
シニカルな笑いを誘う知的な切れ味と、冷え切った掌を包み込むような温もりが同居する本作。ひとつひとつの物語は短く、テンポよく読み進められますが、読み終えたあとに立ち上る余韻は重層的で、どこか遠い祈りの響きに似ています。せわしない日々のなかで、自分の心の輪郭や、大切な人と言葉を交わすことの意味を静かに確かめたくなったときに、何度も手にとりたくなる一冊です。


