これは、日記という名を借りた私の記憶。
某月某日
撤収作業のさなか、ボランティアの学生さんが、コンテナの汚れを拭き取りながら、少し迷うような口調で教えてくれた。今日来ていたおばあちゃんから、ふと漏れ出た言葉を聞いたのだという。
「自分だけが、生き残ってしまった」
「助かった」ではなく「しまった」という完了形の重み。私の頭の中の索引は、即座に『NDC 146.2(心的外傷)』や『サバイバーズ・ギルト』というラベルを弾き出そうと……私の悪い癖だ。人の痛みを、既知のフォルダに分類して安心しようとする。けれど、ボランティアの彼女が語った続きの言葉が、その乾いた分類を静かに押し留めた。
「誰かがいなきゃ、みんなの供養ができないからね。じいさんが三途の川で、私にだけ『往復切符』を握らせて、こっちへ追い返したんだと思うのよ」
――往復切符。
その言葉の響きに、不意に宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』が重なる。親友のカムパネルラは川の向こうへ行ってしまったけれど、ジョバンニだけは、どこまででも行ける切符をポケットに入れて、悲しみの透き通るような冷たさを抱えながら、地上へ戻らなければならなかった。そのおばあちゃんも、エプロンのポケットの奥に、見えない厚紙の硬さを指先で確かめながら、今日まで息をしてきたのだろうか。
私には話してくれなかった話。でも、それは決して寂しいことじゃない。私たちが顔馴染みの「隣人」になりつつあるからこそ、言えないこともある。通りすがりの旅人のような、まだ名前もよく知らないボランティアさんだったからこそ、重すぎる荷物を一瞬だけ、降ろせたのかもしれない。北風と太陽の話じゃないけれど、見知らぬ人の体温のほうが、凍ったコートを脱ぎやすい時がある。
私の仕事は、その「往復切符」を持って戻ってきた人たちが、次の列車を待つまでの長い時間を、少しでも穏やかに過ごせる待合室を作ることだ。
この話は、業務日報には書かない。けれど、その切符の目に見えない重さを、私の記憶の棚にそっとしまっておく。
これは、日記という名を借りた私の記憶。
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