移動図書館日記(82)

これは、日記という名を借りた私の記憶。

某月某日

日陰に入ると、空気がひやりと肌を刺すようになった。朝一番のロマコメ号は、鉄の塊であることを主張するように、ひどく冷え切っている。

「この前頼んでおいた本、届いたかな」

ハッチの向こうから、いつものおかあさんが顔を出した。七十歳過ぎくらいだろうか。ここあん村の女性の年齢はほんとうにわからない。

おかあさんが予約していたのは、色鮮やかな写真が並ぶ漬物の本。おかあさんは、少し恥ずかしそうに笑ってこう言った。

「『あのこと』と一緒に、頭の中の決まりごともどこかへ飛んでいっちゃったみたい。一番大事な分量まで、思い出せなくなっちゃって」

体に染み付いていたはずの味付けの加減までが、あの日の混沌に飲み込まれて、ぽっかりと空白になってしまう。少し前までなら、相手の記憶の欠落を前にして、勝手に焦っていたかもしれない。けれど、目の前で本を抱える彼女の横顔は、冬の陽だまりのように穏やかだった。

彼女はしばらく椅子に腰掛けて、最近のお気に入りを教えてくれた。大根と一緒に、柿を漬け込むのだという。

「お嫁さんが漬けるのは、なんだかさっぱりしすぎていて。私の口には、少し物足りないのよね」

柿の甘みが大根の瑞々しさを包み込む、その歯ごたえや、重石をかけるときの感触。おかあさんが語る言葉のひとつひとつに、長年繰り返されてきた生活の、確かな重みが宿っていた。

「今はみんな村の外に出て行っちゃったけれど、その分、自分の好きな味だけで漬けられるでしょう。それが一番いいわ」

ひとりきりになった食卓を、彼女は「不自由」ではなく「自由」と呼んだ。失ったものを数えるのをやめて、今、自分の手の中にある時間を、自分にとって最高の味に整えること。その強かさに、私の背中がすっと伸びる。

武田百合子さんの『富士日記』が頭をよぎった。そこにあるのは、飾らない言葉で綴られた、泥臭くも愛おしい日々の営み。何を食べ、どう笑い、どう生きたか。その、どの棚にも分類できないような、生々しい命の記録。

私の仕事は、彼女たちが忘れてしまった「分量」を、本の形にして手渡すこと。でも、本当に大切なのは、そこから先だ。彼女たちが自分の台所で、新しい物語の味付けを始めていくこと。

帰り際、彼女の指先に、大根を洗ったときの名残だろうか、冷たい水の匂いが微かに残っていた。

これは、日記という名を借りた私の記憶。

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。
*The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
*無断転載禁止 Copyright © 2025 千早亭小倉|話紡庵レーベル All Rights Reserved.

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