これは、日記という名を借りた私の記憶。
昨夜、少しだけ地面が揺れた。自宅の本棚の本が、がたごと勝手に揺れて、前に出てこようとするのを手で押さえる。
一夜明け、移動図書館「ロマコメ号」の運行日。4箇所の仮設団地を巡る道すがら、窓の外を流れる村の景色を、いつもより少しだけ注意深く目線でなぞる。
集会所前に車を停めると、子どもたちがページを弾くような勢いで駆け寄ってきた。今日、彼らの好奇心の的になったのは、受付の鉛筆立てに挿していた、黒いプラスチックの虫メガネだった。
一人の男の子が、それを私の顔に向けてくる。 円い縁の向こう側で、その子の瞳がぎゅんと大きく膨らんだ。
喉の奥がくすぐったくなる不思議な感覚。男の子からは私の顔が、分類不可能な形に引き伸ばされていることに気づいて、おかしくなる頬が緩む。
「千夏っちゃん、おっきい!」
ただそれだけのことが、広場全体に波紋のように広がっていく。レンズをくるくる回しながら覗き込んだり、自分の指の指紋をじっと見つめたり。プラスチックの軽い手触りと、太陽の熱を吸って少し温かくなった黒い縁。子どもたちの小さな手が、代わる代わるそれを握りしめる。
特別な意味なんて、たぶん何もない。昨夜の地震のことなんて、誰も口にしない。ただ、プラスチックの丸い枠の中で、世界が少しだけ形を変えて見える。その「ただそれだけ」のことが、今は一番の娯楽らしい。
私がこの子たちくらいの頃、世界はどう見えていただろうか。思い出そうとしても、古い本の挿絵のように少しだけぼやけていて。それでいいのだと思う。今のこの、騒がしくて、ただ可笑しいだけの時間が、一番確かな重みを持っているのだから。
今日の一冊は、安野光雅さんの『ふしぎなえ』がいい。ありえない形、不思議な視点。でも、そこには理屈抜きの遊び心が綴じられている。
子どもたちの笑い声をぱらぱらめくった本の間に好きに挟み込んで、今日という一日を閉じる。
これは、日記という名を借りた私の記憶。
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