
乾いた木製バットが硬いゴムを弾く音が、三丁目公園に響いた。
恋流波陽は、路地の角で足を止めた。視界に入ったのは、十人ほどの子どもたちと、その中心で腰を落として、うなり声をあげている中野小春だった。
ロングスカートの裾にはおかまいなくと言わんばかりに泥が見事にはねている。
中野さんは、草野球の守備についていた。中野さんの家族構成を陽はよく知らなかったが、家族と参加しているようには思えなかった。
「中野さん」
陽のつぶやきは小さなものだったが、中野さんはあたりを見回し、陽の姿に気づくと、背を伸ばして、大きな笑顔を見せた。
「はるくん、いいところに。人が足りないの。入ってよ」
中野さんの伸びやかな声。陽は腰砕けのポーズを取りつつ、「がんばって」とだけ言って、近くのベンチに腰を下ろした。
子どもたちに何か言われたのか、中野さんは額に張り付いた髪を、土のついた軍手で払い、再び内野の守りに集中した。頬は赤らみ、息がはずんでいるのが、陽からもわかった。中野さんの目が輝いている。
やがて攻守交代となり、中野さんが陽のほうに歩いてきた。
「いきなり飛び込む勇気、無いですよ」
中野さんは少しだけ首をかしげ、「見てて」と言うと、今度はバットを持ってバッターボックスに立った。子どもたちの野球に、中野さんがきちんと組み込まれているのが陽には少しおかしかった。
中野さんに向かって、子どもたちの声が飛ぶ。
ピッチャーの少年が投げた球に合わせて、中野さんがぶんとバットを振る。
打球はフェンスを越え、その先の植え込みに落ちた。
「わあ、ホームランだ!」
子どもたちが歓声を上げた。なぜか、守備の子どもたちも何人か、「ホームラン」「ホームラン」と興奮したように飛び跳ねていた。中野さんは小さなガッツポーズをつくり、ベースを一周した。風に吹かれ、スカートの裾が揺れた。
「中野さん、野球うまかったんですね」
試合後、金網フェンスにもたれてペットボトルの水を飲む中野さんに、陽が声をかけた。
「そう、上手なの。小さいころから、これだけは得意でね」
中野さんは学生時代、ソフトボール部の捕手だったという。
「ねえ、はるくんは、野球のどこが好き?」
いつの間にか野球好きにされていた。中野さんの唐突な問いに、陽は少し考えた。
「チームが一つになって、同じ目標へ向かう、その連帯感とか?」
中野さんはペットボトルの水をもうひとくち飲みながら、目をきれいな円弧に細めた。
「みんなで協力するって美しいわよね」
中野さんの答えに、陽は頭をかいた。
日が傾き、遊具の影が伸びている。
「さてと、カエルが鳴くから帰ろっかな」
中野さんはすくっと立ち上がり、スカートについた土を払った。そんなことでは落ちそうにない泥がべっとりついていたが、中野さんはやはりおかまいなしだった。
「またやりましょうね、はるくん」
見ていただけの陽だが、「ぜひ」と答えていた。
中野さんは、子どもたちに両手で大げさにばいばいをすると、急に公園の外に向かって走り出した。
「え」
急いでいたのか、走りたかったのか、中野さんが何を考えているのか、陽にはまったくわからなかった。中野さんのふくらはぎが遠ざかっていく。陽はただ少し、どきどきした。
(了)
作・千早亭小倉
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